千葉県立関宿城博物館は、利根川と江戸川の分岐点に建設された「川の歴史と文化を探る」博物館であり、利根川を曲げた伊奈忠次らの活躍も描かれている『家康、江戸を建てる』著者・門井慶喜先生の『徳川家康の江戸プロジェクト』で紹介されているスポットです。
利根川流域における洪水・治水の歴史や産業・文化を展示する博物館として、平成7年に開館しました。
この博物館が入居している関宿城の天守閣は、残念ながら現存天守ではなく再現した建物ですが、最上階からの眺めは周囲を一望できるようになっております。
【外部サイト】千葉県立関宿城博物館
実際に訪れてみて感じましたが、この博物館の展示は「利根川東遷事業」について非常に勉強になります。
都内からのアクセスは若干悪い印象ですが、それを差し引いても、利根川に興味のある方はぜひ訪れてみる事をオススメいたします。
順路
今回は、東武スカイツリーライン(東部伊勢崎線)東武動物公園駅で下車し、駅前からバスで向かうルートを選びました。
そのため、朝日バス(境車庫行き)に乗車して約30分、新町バス停で下車しました。
新町バス停がある道路は、道幅が狭い割にトラック等の大型車が多く通行するので要注意です。
上記写真の奥に見える丁字路を左折して、歩道を進んでいきます。
この歩道を進んでいくと、関宿城博物館への案内板が設置されております。
看板の案内に従って左折し、少し進むと田畑の先に関宿城博物館が見えてきます(このお城の外観が関宿城博物館です)。
ただし、ここから先がまだ徒歩10分以上かかるので、気長に歩いてください。
到着したら、門から入場します。
なお、門の前には利根川と江戸川の分岐点を描いた図などもあります。
ちょうど、この関宿城博物館は利根川と江戸川の分岐点に建っている事が分かります。
入場料金は何と、大人一般で破格の200円!
これだけ充実している博物館の展示が、僅か200円で見られるとは……
博物館の見取り図もあります。
関宿城跡や公園等も隣接しているので、お時間があればお立ち寄りもありだと思います。
館内は一部を除いて写真撮影可という超絶太っ腹なご対応に感謝です。
ただし、インターネット上での公開(SNS含めて)は禁止との事です。
従いまして、以下ご紹介する展示物につきましては、ぜひ実際に関宿城博物館を訪れてご自分の目で楽しんでいただければ幸いです。
千葉県立関宿城博物館について
主に、常設展は4つのエリアに分かれて展示されております。
- 第一展示室
房総の河川 近現代の利根川・江戸川 - 第二展示室
房総の河川 近世の利根川・江戸川 - 第三展示室
河川交通と伝統産業 - 企画展示室
関宿藩や関宿に関する展示
他に、企画展示を実施している場合は3階にて(筆者が訪れた際は『すごろクイズ「のりものの歴史」』を展示中でした)、4階は展望室として関宿城の四方を眺めることができます。
今回、筆者の訪れた目的はただ1つ「伊奈忠次の利根川東遷事業について調べる事」でした。
従いまして、筆者は今回、展示を全て見て回り、さらに「すごろクイズ」まで楽しんだ上に、展望室からの景色も眺めて関宿城博物館を満喫しましたが、この記事のテーマ「伊奈忠次の利根川東遷事業」につきましては、第二展示室「房総の河川 近世の利根川・江戸川」が中心となります。
しかし、せっかく良き博物館を訪れましたので、他の展示も含めてご紹介していきたいと思います。
入口
入口から入るとすぐ左に千葉県立関宿城博物館の模型が展示されております(株式会社構造計画研究所:平成5年3月作成)。
次いで、中に入ると『近世の関宿想像模型』(縮尺1/1000)が展示されております。
券売機で入場券を購入して、受付を通過するといよいよ第一展示室です。
第一展示室「房総の河川 近現代の利根川・江戸川」
「水とのたたかい」をテーマに、水塚の役割、水防工法、水塚とその周辺、などをパネル展示。
水塚の建物を実寸大で再現した小屋も展示されており、迫力とリアリティーがあります。
第一展示室では主に、明治維新以降の時代について展示されております。
第二展示室「房総の河川 近世の利根川・江戸川」
房総の河川(近世の利根川・江戸川)
近世初期、徳川幕府はそれまで東京湾に注いでいた利根川本流を、流路の締め切りや開削を繰り返しながら順次東方に移し替え、銚子河口から太平洋に流す大工事を行いました。
また、江戸時代中期にも、大規模な河川改修や新田開発をはじめ、印旛沼・手賀沼の干拓などが度々試みられました。これらの治水工事の過程で様々な河川技術が創案され、今日の河川砂防体系の基礎が築かれました。引用元:千葉県立関宿城博物館展示
江戸時代の計量単位
まず、第二展示室に入る直前の通路に『江戸時代の計量単位』という展示があり、これは「長さ」「重さ」「面積」「距離」「容積」について、江戸時代に使用されていた単位が一覧でまとめられています。
近世の利根川・江戸期
近世の利根川・江戸期
近世初期、徳川幕府は利根川流域で改流工事を行いました。東京湾に注いでいた利根川を、順次東に移しかえ、1654(承応3)年に銚子河口から太平洋に流す工事が完成しました。また、寛永年間(1624〜44)に、関宿と金杉を結ぶ新川が開削され、現在の江戸川になりました。これらの工事により、利根川と江戸川は、江戸と東北地方を結ぶ水路として、重要な役割を果たしました。
引用元:千葉県立関宿城博物館展示
利根川東遷事業は一発で完了した事業ではなく、複数の河川を移し替えたりせき止めたりして段階的に完成した事業です。
その段階ごとの流路が分かりやすく理解できるよう、地図上に表示してくれる展示物があります。
- 江戸時代以前の水系
- 会の川の締切り(1594)
- 新川通・赤堀川の初開削(1621)
- 江戸川・逆川の開削(1624〜42)
- 赤堀川の拡幅(掘)(1654)
- 現代の利根川・江戸川
それぞれのボタンを押すと、その段階の利根川の流路が地図上に表示されるようになっております。
利根川の東遷
第二展示室入口の地図では年代別の流路が地図上で光る形で示される展示がありましたが、こちらはパネル展示にて、年代別の東遷事業が示されております。
- (1)中世末〜近世初頭(第Ⅰ期)
会の川締切りと利根川 - (2)近世(第Ⅱ期)
新川通の開削
赤堀川の初開削と拡幅 - (3)近世(第Ⅲ期)
江戸川の開削 - (4)近世(第Ⅳ期)
利根川の増掘削(通水)
また、関係する古文書の複製品も併せて展示されております。
河川改修
近世の洪水・治水年表
壁面に「天正18年(1590)徳川家康、江戸城に入場」から「慶応3年(1867)徳川慶喜、大政奉還を上表」までの年表が横並びに展示されております。
この年表を見れば、段階的な(個人的には少々分かりづらい印象の)利根川東遷事業がどのように進んでいったのかが分かりやすいです。
併せて、治水技術についての解説も示されております。
治水技術
日本の河川は太古より幾度となく洪水や氾濫を繰り返し、人々に猛威をふるってきました。しかし、先人たちは河川の浸食作用などから河岸や堤防を守るため、水の流れを変え、水の勢いを弱め、土砂の沈殿を促す工法を編み出し、水と闘ってきました。その治水技術は災害を減らし、生産力の向上へと導きました。
明治14年(1881)に内務省土木局が刊行した『土木工要録』には、伝統的河川工法や土木構造物が立体的に図示されています。引用元:千葉県立関宿城博物館展示
そして、改修工法として「関東流」や「紀州流」が図解と共に紹介されております。
特に徳川家康公の江戸入府後、関東郡代・伊奈忠次により利根川の東遷事業を開始した頃は「関東流」が用いられていたと思われます。
関東流
関東郡代伊奈氏による近世初期の治水土木工事の方法です。蛇行する河川に、乗越堤などの流出用堤防とそれに隣接した遊水池を設け、増水分をゆるやかに流出させる工法をいいます。
引用元:千葉県立関宿城博物館展示
なお「関東流」は、伊奈忠次により始められた工法との事です。
流れを受け入れる、関東流
近世をむかえるまでの関東平野は、合流や分流をくりかえし西に東に乱流する原始河川と、無数に点在する大小の沼沢を抱え、開発の手のおよばない大デルタ地帯でした。それが、江戸に幕府が開かれてからは、穀倉地帯としてその姿を大きく変貌させていきます。
これを可能にしたのは、戦国時代から大発展をとげていた技術で、世にいう「関東流」です。家康の家臣であった関東郡代伊奈忠次によりはじめられたこの技術は、幕府直轄の技術として、伊奈氏一族に受け継がれました。
江戸時代初期に荒川で行われた関東流技術の特徴として、水害防止のために、乗越堤・霞堤・遊水地などが設けられるとともに、河道を幅広く蛇行したままにし、洪水を蛇行部に滞留させつつ徐々に流入させました。農地には肥沃な土砂が流入し、流域内に点在する沼沢や低湿地を縮小させて耕地造成を促します。このため関東流では「川瀬は一里四十八曲がり」を貴んだとされています。
このように関東流は、自然をうまく利用した技術ですが、やがて新田開発の拡大とともに、関東平野の開発は紀州流が受け持つことになります。引用元:『治水技術の系譜~「関東流」と「紀州流」~』
国土交通省関東地方整備局荒川上流河川事務所
大名手伝普請のパネル展示では、寛保2年(1742)の大洪水に伴う大名手伝普請の分担表が示されており、西国10大名の負担総額は約23万両であったとのことです。
なお、1両=5万円で換算すると約115億円に相当しますので、西国大名の藩政を財政面から圧迫する効果もあったのではないでしょうか。
【参考】日本銀行金融研究所貨幣博物館
Q5.江戸時代の一両の現在価値はどのくらいですか?
他にも、様々な河川技術として堤防や護岸水制、浚渫の様子や水を分ける技術などが図解で展示されております。
また、圦樋(いりひ:水を引き入れるための水門)の模型や、菱牛(ひしうし:武田信玄が創案したと言われる伝統的水防工法)や笈牛(おいうし:牛枠に前立木を加えたものと同じ、一般に小河川の水制または仮縮切用水堰などに施工)の模型、関連する古文書(複製含む)などが展示されております。
沼の干拓
手賀沼の干拓や印旛沼の干拓について、パネル展示されております。
併せて、関連する古文書(複製)も展示されております。
河川改修
現物の『関宿棒出しの石』が展示されている他、模型として『近世の関宿棒出し模型』や『近世の河川改修模型(中・下流域)』などが展示されております。
土木工事に寄与した人々
土木工事に寄与した人々
治水土木工事には、莫大な資金と時間、また、人々の大変な苦労と努力があったのです。
このコーナーでは、近世以降の治水土木工事を政治的・経済的・技術的な面で支えた人々を紹介していきます。引用元:千葉県立関宿城博物館展示
河川工事に働く人々
『工事現場再現劇場』なる展示物がありましたが、現在「調整中」とのことで見られませんでした。
土木工事に寄与した人々
土木工事に寄与した人々として、以下の人物が紹介されております。
- 伊奈忠次・忠治
- 田沼意次
- 水野忠邦
- デ・レーケ(D'rijke,Johanes)
- ファン・ドールン(Van Doorn,Cornelis Johannes)
伊奈忠次・伊奈忠治親子については、以下の通り紹介されています。
伊奈忠次・伊奈忠治
(1550〜1610)(1592〜1653)江戸時代の関東郡代伊奈氏の祖、備前守忠次と半十郎忠治父子は、ともに江戸時代前期の河川改修工事に大きな業績を上げました。
忠次は、今日備前掘の名で残っている領内の用水路工事や新田開発に力を尽くし、また忠治は利根川、江戸川、権現堂川などの改修や瀬替えを行い、その土木工法は「関東流」とよばれました。
これらの河川工事は「利根川の東遷」に直結しており、伊奈氏は、関東の河川流路の基を築いた中心的存在だったといえます。引用元:千葉県立関宿城博物館展示
以上で、第二展示室の展示は終了です。
第三展示室「河川交通と伝統産業」
主に江戸時代における、河川交通の発達により大消費地の江戸と水運で直結した事で発展した産業をテーマに、醤油や味醂醸造に関連する展示物や、1/3スケールの巨大模型『高瀬船』、数々の古文書などが展示されております。
企画展示室「関宿藩や関宿に関する展示」
戦国時代から江戸時代における関宿の歴史について、パネル展示、古文書、発掘された関宿城の瓦、甲冑や火縄銃などの武具などが展示されております。
すごろクイズ「のりものの歴史」
すごろく形式で「中世以前」「近世」「近代」「現代」「現代から未来へ」と5つの時代区分に分けて、人々が利用した乗り物について説明がされております。
併せて『日本のおもなのりものの歴史』として、1万4千年前から2019年に到るまで利用されてきた乗り物のが一覧形式で示されております。
展望室
この展望室の眺めについて、門井慶喜[2018]『徳川家康の江戸プロジェクト』(祥伝社新書)によると以下の通り書かれております。
天守閣四階の展望室から周囲を見渡すと、川原が広がるなかで利根川と江戸川が合流している様を一望にすることができます。閉じた堤がはっきりと見え、川を曲げていることがわかりました。
引用元:門井慶喜[2018]『徳川家康の江戸プロジェクト』(祥伝社新書)P.176〜P.177
しかし、この日は利根川と江戸川の分岐点は一面ほぼ緑で覆い尽くされており、あまりよく見えませんでした。
これはもしかしたら、訪れた時期が悪かったのかもしれません(筆者が訪れた夏場は最も草木が生い茂る時期なので)。
なお、方角は「北西」と表示された側の窓が、利根川と江戸川の分岐点の方角となっております。
おみやげ
関宿城博物館に併設されたミュージアムショップでは、お土産が販売されております。
筆者は喜八堂のお煎餅『昔大丸詰め合わせ』を購入しました(ここでしか買えない限定品とのこと)。
おわりに
千葉県立関宿城博物館は利根川の治水や水運について勉強するのに、非常に有意義な博物館です。
今回は「伊奈忠次が利根川を曲げた」という点に注目して訪れましたが、その点のみならずより詳細な治水工事の技術・工法が図や模型などを交えながら分かりやすく展示されており、また治水により利根川を利用して発展した水運やそれにより栄えた産業に到るまでをも分かりやすく展示されており(第三展示室)、非常に勉強になりました。
利根川や治水技術、江戸の都市開発にご興味のある方は、ぜひ一度訪れてみていかがでしょうか。
なお、東武アーバンパークライン(東武野田線)川間駅方面にもバスが走っており、帰りはそちらを利用してみました。
こちらの路線だと約35分程度で川間駅に到着します。
ただ、こちらの路線だとバス停が関宿城博物館の入口目の前にありますので、時刻が合えばこちらの方がオススメの順路です。
ちなみに、今回は利用しませんでしたが、野田市まめバスのバス停も併設されております。
案内情報
名称:千葉県立関宿城博物館
住所:千葉県野田市関宿三軒家143-4
交通:公共交通機関で向かう場合は運行時刻に要注意
- 東武スカイツリーライン(伊勢崎線)
「東武動物公園駅」東口から朝日バス(境車庫行き)「新町」バス停で下車して徒歩15分 - 東武アーバンパークライン(野田線)
「川間駅」北口から朝日バス(境町行き)「関宿城博物館」バス停下車徒歩0分
【参考サイト】アクセスの詳細はこちら(関宿城博物館Webページ)
【関連記事】
-160x120.jpg)
概観-160x120.jpg)
-160x120.jpg)