頭殿権現社は長禄年間(1457〜1460)に太田道灌が勧請し、天正19年(1591)に伊奈忠次が陣屋に入った後に営繕したと言われています。
なお、伊奈氏屋敷跡は平成29年より「忠次プロジェクト」の一環として、町道が散策路として整備されたとの事です。
【関連サイト】
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はじめに(頭殿権現社)
今回は伊奈氏屋敷跡を訪れると共に、その跡地内にある頭殿権現社にも立ち寄ってみました。
伊奈氏屋敷跡・表門跡に設置されている案内看板と同じ看板が設置されておりますので、改めて頭殿権現社に関する部分を抜粋します。
埼玉県指定史跡 伊奈氏屋敷跡
(中略)
頭殿権現社
長禄年間(1457〜1460)に、太田道灌が勧請したと言われる。
天正19年(1591)に、伊奈備前守忠次が陣屋に入った後に営繕し、陣屋の守護神としたと言われる。
権現社とあることから徳川家康を祀っていたものと思われ、家康の死後の元和2年(1616)から間もない時期、忠政か忠勝の代に陣屋内に勧請したと思われる。新編武蔵風土記稿(1804〜1829年編纂)に「頭殿権現社 祭神詳ならず陣屋のうちにあり村民持」の記述がある。明治43年(1910)に氷川神社へ合祀された。祭神は、明確ではないが、龍神であったとする説がある。(以下略)
設置者 埼玉県伊奈町
設置日 平成30年2月
まさか、ここで太田道灌の名が出てくるとは思ってもみませんでした。
そもそも、今回は伊奈氏屋敷跡を訪れるのが目的で、その道中で見つけたので立ち寄ったという事もあり、ほぼ予習なしでの見学となった事もありますが、しかし太田道灌は江戸城を建てた武将でもあり、名称の名高い人物でもあるようなので、これはどこかのタイミングで「太田道灌ゆかりの地巡り」を検討してみようかと思いました。
順路
今回、先に伊奈氏屋敷跡を一通り見て回った後、最後に訪れました。
頭殿権現社に行く道として、今回はここから進む事にしました。
標識にも「頭殿権現社」の表記があります。
右手に畑がある道を進んでいくと、道が林道に続いています。
この林道をひたすら進んでいきます。
やがて、写真のように道が二手に別れる分岐点に着きますので、左手のやや坂になっている方を進むと、すぐに頭殿権現社の前に到着となります。
頭殿権現社
頭殿権現社は写真の通り、社殿、祠と石塔、案内看板のみとなっており、鳥居や手水舎などはありませんでした。
頭殿権現社は上の写真の構造物が全てです。
向かって左側には祠があります。
その祠の前に石塔がありますが、表面の文字が削り取られたようになっていて読めませんでした。
もし、悪意ある何者かが文字を削り取ったのだとしたら許せない行為だと思いますが、詳細は不明です。
こちらが、頭殿権現社の社殿です。
頭殿権現社の社殿は木造部分もありますが、側面の壁はトタンで出来ています。
向かって右側の側面には電力のスマートメーターが設置されている事から、この社殿には電力が通っており、かつ地元の方々に使用されているであろう事が伺えます。
おまけに、帰りの電車内から見える頭殿権現社の様子を撮影しました。
写真左奥の建物が頭殿権現社です。
さいごに
発祥は太田道灌が勧請したとのことで、かなり今日的な見た目の社殿に反して歴史ある権現社のようです。
そして、太田道灌といえば関東管領上杉氏に仕え、江戸城を築城した武将です(よく知られている江戸城は家康公が入城後に大改築を行った物)。
そういう意味では、太田道灌、江戸城、徳川家康、伊奈忠次、とまるで連想ゲームのように1本の線でつながる縁があるのも不思議な感じがします(学術的なつながりではありませんが)。
しかし、まさかこのような場所でその名を目にするとは、予想外の驚きを味わえました。
案内情報
名称:頭殿権現社(埼玉県指定史跡 伊奈氏屋敷跡)
住所:埼玉県北足立郡伊奈町大字小室189
交通:ニューシャトル(埼玉新都市交通伊奈線)「丸山駅」下車・徒歩約9分
【頭殿権現社】
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