本能寺跡は京都府京都市中京区元本能寺南町346にある、戦国時代に本能寺が建っていた跡地の石碑です。
大河ドラマ『麒麟がくる』主人公として注目を浴びる明智光秀が、主君・織田信長を倒した「本能寺の変」はここで起きました。
「本能寺の変」は日本史上最も有名な謀反、と言えるのではないでしょうか。
その後、本能寺は別の地に移転、現在は本能特別養護老人ホームが建っており、その敷地の一角に石碑があるという状態です。
本能寺の変とは
「本能寺の変」とは、明智光秀のセリフ「敵は本能寺にあり!」でお馴染みの謀反です。
本能寺の変(ほんのうじのへん)は、天正10年6月2日(1582年6月21日)早朝、京都本能寺に滞在していた織田信長を家臣・明智光秀が謀反を起こして襲撃した事件である。
信長は寝込みを襲われ、包囲されたのを悟ると、寺に火を放ち自害して果てた。信長の嫡男で織田家当主信忠は、宿泊していた妙覚寺から二条御新造に移って抗戦したが、まもなく火を放って自刃した。これにより織田政権の中心人物が失われ、6月13日の山崎の戦いで光秀を破った羽柴秀吉が豊臣政権を構築していく契機となった。
「本能寺の変」は、その謀反の理由について従来「信長への私怨」が一般的でしたが、近年では「秀吉黒幕説」「家康黒幕説」「朝廷黒幕説」「四国征伐回避説」を始めとして実に様々な説が立てられています(参考:本能寺の変 - Wikipedia「本能寺の変の真相をめぐる諸説」の一覧表によると、説の数は実に57個もあります)。
ただ、歴史学者的な観点から見ると、以下のような考え方があるようです。
黒幕は存在するのか
(中略)巷には、その背景や黒幕を探る本があふれています。「序」で触れたように、徳川広家さんは、本能寺の変を「日本史・三大どうでもいい話」のひとつに挙げましたが、私も賛成です。なぜ、これほど血眼になって黒幕探しをするのか理解できません。
結論を言えば、背景や黒幕などなく、光秀が単独で殺害したというのが、私の理解です。光秀が信長を討った事実は動かないわけですから、それで十分ではないでしょうか。
引用元:本郷和人[2019]『乱と変の日本史』(祥伝社)P.204
なるほど確かに、誰が黒幕かによらず「本能寺の変で、織田信長が明智光秀に倒された」という事実に変わりはありません。
そして、その僅か13日後には「山崎の戦いで、明智光秀が羽柴秀吉に負けた」わけです(光秀の死因は敗走中に落ち武者狩りに倒されたとも、自害したとも)。
従って、光秀が「本能寺の変」を起こした理由が何であれ、黒幕が存在しようがしまいが、あるいは誰が黒幕であろうとも、この「信長→光秀→秀吉→家康」という歴史の流れに変わりはありません。
しかし、学問的にはそうであったとしても、歴史ファンとしては「明智光秀が本能寺の変を起こした理由・動機・(いるのであれば)黒幕が誰か」が気になるところです。
明智光秀が「本能寺の変」を起こした理由は?
ちなみに、大河ドラマ『麒麟がくる』に関連してNHK BSプレミアム『偉人たちの健康診断』という番組で、興味を惹かれた説がありましたのでご紹介いたします。
#大河ドラマ『#麒麟がくる』主人公 #明智光秀 に、まさかの #レビー小体型認知症 説。
「徳川家康の饗応料理の悪臭に気づかなかった」
→嗅覚が鈍る。
「笹ちまきを笹ごと食べた」
→脳の手順処理能力が落ちる。
「おみくじを何度も引き直した」
→空間認識能力が落ちる。#NHK #偉人たちの健康診断— taka(日本史好きの家康公ファン) (@taka_ieyasufan) January 9, 2020
明智光秀が「本能寺の変」を起こした理由に、まさかの「明智光秀レビー小体型認知症説」が登場いたしました。
しかし、説の根拠として挙げられた病状などから見ると、58個目の説として成立するのかもしれません。
さらに、同番組内ではこんな説も提示されました。
さらに #明智光秀 は #過剰適応 により、#織田信長 への怒りが自己の中で増幅していったのでは、との事。
本能寺へ向かう「暗闇の中での行軍」が、一層怒りを増幅させていったそう。#NHK #偉人たちの健康診断 #大河ドラマ『#麒麟がくる』— taka(日本史好きの家康公ファン) (@taka_ieyasufan) January 9, 2020
過剰適応とは、簡単に言えば「自分自身の感情を必要以上に押し殺して、外部の人間や環境に合わせ過ぎる状態」のことを言うそうです。
明智光秀といえば、織田信長から折檻(暴力)されたり比叡山焼き討ちをやらされたりなど、散々な目に合わされている印象が強いですが、実は「織田家譜代の家臣(先祖代々の家臣)達を差し置いて、外様の家臣・光秀が織田家最初の城持ち家臣になった」というくらい、信長から優遇されていました。
それだけの地位をぽっと出の外様である光秀が築くには、相当な気苦労やストレスがあったのではないかと思われます。
また、信長も長年の盟友・徳川家康公の饗応役という大役を光秀に申し付ける辺り、やはり信長は光秀を信頼していたのではないでしょうか。
しかし、光秀にはそれが上手く伝わらず、過剰適応により光秀の中で信長への怒りが増幅していったのだとしたら、何とも哀しい人間ドラマだと言えますね。
その辺りを『麒麟がくる』では、どのように描くのでしょうか。
1年間かけて放送される大河ドラマの、クライマックスとなる「本能寺の変」でさすがに「レビー小体型認知症説」というオチは採用されないでしょうが、長谷川博己さん演じる明智光秀が「なぜ本能寺の変を起こすのか」について、どの説を採用してどんな物語を見せてくれるのか今から楽しみです。
本能寺跡石碑
冒頭でもお伝えした通り、本能寺は別の地に移転しております。
現在、この本能寺跡には本能特別養護老人ホームが建っており、その敷地の一角に石碑があるという状態です。
京都の住宅街の真っ只中にありますので、少々見つけづらいかもしれません。
碑文には、本能寺が度重なる火災に遭ったため「能」の字を変えたと書かれています。
焼け落ちたのは「本能寺の変」だけではなかったのですね。
大河ドラマ『麒麟がくる』は「本能寺の変」をどう描くか?
『明智光秀が「本能寺の変」を起こした理由は?』にも書いた通り、やはり明智光秀が「本能寺の変」を起こす理由は「光秀と信長のすれ違い」を中心として、ストーリーを描くのではないでしょうか。
織田信長という人物像については近年、従来の「魔王」的な人物像ではなく「割と普通の人だった説」が注目を集めています(信長の斬新性は父・織田信秀のアイデアの焼き直しとも)。
大河ドラマでは最新の説を貪欲に取り込む事も見られるので、信長はエキセントリックな大名ではなく、割と人間臭い信長として描かれるかもしれません。
そうなると、信長・光秀主従の関係性がどう描かれるのかが、大河ドラマ『麒麟がくる』作中で光秀が「本能寺の変」を起こす理由・原因に直結する事になります。
私の予想としては、こんな予想を立ててみました。
明智光秀は、織田信長こそ「麒麟を呼ぶ人」だと確信して仕えるが、女子供まで皆殺しにせよと命じられた比叡山焼き討ちなどや、天皇・朝廷に代わり自らが頂点になろうとする様を見て、次第に「信長こそ天下のために倒すべき敵」ではないかと思うようになっていく。信長自身もまた、安土城に移ってからは近習たちとばかり関係を密にし、織田家家臣団との間に隙間が生じていく。迷う光秀の前に、信長が僅かな人足で本能寺に泊まるという「信長を討つ千載一遇の好機」が訪れた。主君・信長を討ち、自らが「麒麟を呼ぶ人」になるのか、光秀はついに決断を下す——「敵は、本能寺にあり」と。
しかし、こうして「本能寺の変」を起こして信長を討った光秀だったが「謀反が本当に正しかったのか?」という迷いが晴れる事はなく、またあれほど「反信長」であったはずの畿内の諸大名は誰も光秀に味方してくれない。ついに羽柴秀吉が「中国大返し」を成功させ、大軍を率いて光秀の前に立ちはだかる。「山崎の戦い」で秀吉に負けた光秀は敗走の最中、落ち武者狩りに遭い竹槍で脇腹を突かれて落馬する。
結局「麒麟を呼ぶ人」は自分ではなかった事を悟り、無念の中、光秀はその生涯に幕を閉じるのであった(あるいは、光秀と秀吉が良好な仲として描かれるなら、秀吉こそが「麒麟を呼ぶ人」であると想いを馳せながら果てる)。
こんな感じで描かれるのではないでしょうか。
【追記】令和3年7月12日
放送終了から日が経ってしまいましたが、改めて振り返ってみようという事で追記します。
前述の考察につきましては、まあ前半部分はおおむね当たりましたが、まさか「山崎の戦い」全カットで終幕するとは思いませんでした。
劇中における「本能寺の変」の原因については、暴走を始めた信長に対してそのような人物にしてしまった張本人・光秀が始末をつけるという「製造者責任説」とでも言うべき筋書きを中心に据えつつ、脇に「怨恨説」「朝廷黒幕説」「四国征伐回避説」辺りを匂わせ、最終的には光秀自身が決意して謀反を起こすという筋書きでした。
また、秀吉が細川藤孝(幽斎)から光秀謀反の兆しの報せを受ける場面も描かれておりましたが、光秀と藤孝が昵懇の仲から微妙な距離感に変化していく様子なども物語終盤で見て取れました。
未だ「本能寺の変」の原因・動機については解明されてはおりませんが、この『麒麟がくる』は一つの人間ドラマとして大変見ごたえのある作品だった事は間違いないと思います。
また、後日放送された総集編も、長谷川光秀と染谷信長の2人に焦点を当てて編集し、それを川口帰蝶Pが振り返るというスタイルで作られており、改めて良作の大河ドラマ作品であった事を実感しました。
残念な事があるとしたら、やはり本編の最後に「山崎の戦い」をきちんと描いてほしかったという点を挙げたいと思います。
敗者の物語において、その敗北する場面を描くことは大変重要であり、ある意味ではその場面に向かっていくまでの過程が物語でもある訳です。
明智十兵衛光秀という人物の物語は、劇的な謀反を起こした「本能寺の変」で終わるのではなく、その後の劇的な敗北を喫した「山崎の戦い」によって終幕するべきだと思うのです。
また、作品の一ファンとしても、長谷川光秀と佐々木秀吉が真正面から激突した「山崎の戦い」は、ぜひとも観たかった。
コロナ禍による撮影への影響などに苦心しながらの制作は大変だったと思いますが、やはりどうしても「山崎の戦い」を観たかった(しつこい)。
数年後くらいに『麒麟がくる』スペシャルとして「山崎の戦い」編を放送してくれないかなぁ……NHKさん、どうぞよろしくお願い申し上げます。
案内情報
名称:本能寺跡(本能寺跡石碑)
住所:京都府京都市中京区元本能寺南町346(本能特別養護老人ホーム)
交通
- 市バス「四条堀川」下車油小路通を北進、蛸薬師通を東へすぐ
- 市バス「堀川蛸薬師」下車蛸薬師通を東へ約150m