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二ツ橋地名由来の碑|徳川家康公の詠んだ和歌が地名の由来となった場所

二ツ橋地名由来の碑 家康公ゆかりの地:関東編

二ツ橋地名由来の碑とは、神奈川県横浜市瀬谷区瀬谷1丁目27にある、地名の由来を示した記念碑です。

二ツ橋という地名の由来は、徳川家康公が慶長18年(1612年)に詠んだ和歌によるものだそうです。

場所は横浜市瀬谷で、現在は中原街道と厚木街道の交差点となっております。

二ツ橋地名由来の碑

二ツ橋地名由来の碑は、相模鉄道本線(相鉄本線)「三ツ境駅」下車・徒歩約15分程度で着きます。

石碑は中原街道と厚木街道の交差点「二ツ橋上」にあります。

写真の通り、交差点の角に設置されております。

二ツ橋地名由来の碑・石橋供養塔

二ツ橋地名由来の碑概観

二ツ橋地名由来の碑概観

二ツ橋地名由来の碑には、以下の2首の和歌が刻まれております。

二ツ橋地名由来の碑

相模野の流れもわかぬ川水を掛けならべたる二ツ橋かな
道光親王 文明十六甲辰年十一月詠
※道光親王とは准后道興の事と思われる。

しみじみと清き流れの清水川かけ渡したる二ツ橋かな
徳川家康 慶長十八癸丑年十二月詠

併せて、この石碑には以下の通り記載されております。

二ツ橋地名の由来はこの歌のいずれかは詳かでないが、二首ともにこのあたりの清らかなたゝずまいにふれて詠まれたものでその昔は豊かな自然に恵まれた土地であつたと思われます。

引用元:『二ツ橋地名由来の碑』昭和六十二年十一月吉日 瀬谷区役所

また、上記の昭和62年建立の歌碑とは別に、もう1つ歌碑があります。

二ツ橋地名由来の碑(昭和37年版)

こちらは、昭和37年に二ツ橋町自治会によって建立された歌碑ですが、こちらでは家康公の和歌が二ツ橋の地名の由来である旨が刻まれております。

二ツ橋地名由来の碑(昭和37年版)拡大

こちらは昭和37年に建てられたとのことで、瀬谷区役所の石碑より古い物となります。

他にも、石橋供養塔なども建てられております。

二ツ橋地名由来の碑・石橋供養塔

二ツ橋地名由来の碑・瀬谷村

また、中原街道の道標もあります。

二ツ橋地名由来の碑・中原街道道標

二ツ橋地名由来の碑・中原街道道標

二ツ橋の地名の由来

中原街道について詳しい文献を当たると、以下のように示されておりました。

(中略)この歌碑には文明十六年(一四八四)六月准后道興詠歌と慶長十八年(一六一二)徳川家康詠歌の二首が刻まれ、家康の詠歌は「しみじみと清き流れの清水川、かけ渡したる二ツ橋かな」と二ツ橋の由来を語っている。

二ツ橋は境川に支流和泉川の上流に架かる一橋と下流に架かる一橋を合わせた呼称である。上流に架かり中原街道を渡す橋を上橋、下流で厚木街道(県道四〇号・横浜厚木線)を渡す橋を下橋といって区別している。江戸時代、この二つの橋に由来して瀬谷・野新田村は二ツ橋村と改名され、現在の境川東岸瀬谷区二ツ橋町がこれにあたる。

引用元:今泉義廣[2008]『江戸虎ノ門から中原御殿まで 中原街道を往く』(湘泉堂)P.60

歌碑に書かれた内容を補い、より詳しく示してくれております。

なお、地名の由来については、この歌碑を設置した瀬谷区役所のWebページによると以下のように示されております。

二ツ橋地名由来の碑

石碑に刻まれている徳川家康の和歌(慶長18年(1613年))『しみじみと清き流れの清水川かけ渡したる二つ橋かな』や石橋供養塔(安政3年(1856年))が二ツ橋地名の由来といわれています。
八王子往還と神奈川往来の分岐点を示す道標もあります。

※道光親王詠の和歌については出典となる文献が確認できておりません。

引用元:和泉川の水辺コース 横浜市瀬谷区

何と、設置した瀬谷区自体が「道光親王詠の和歌については出典となる文献が確認できておりません」とし、現時点での公的な地名由来は家康公の和歌であるとしております。

従いまして、現時点ではですが、二ツ橋という地名の由来は徳川家康公の詠んだ和歌が由来であると断定してよいと言えます。

家康公の和歌も味わい深いものですので、ぜひ一度訪れて昔の景色に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

案内情報

名称:二ツ橋地名由来の碑
住所:神奈川県横浜市瀬谷区瀬谷1丁目27
交通:相鉄本線「三ツ境駅」下車・徒歩約15分

【二ツ橋地名由来の碑】

【中原街道沿いの徳川家康公ゆかりの史跡】

史跡徳川将軍小杉御殿跡|徳川家康公も利用した中原街道筋の御殿
史跡徳川将軍小杉御殿跡は、かつて小杉御殿のあった跡地のことであり、現在は神奈川県川崎市中原区小杉御殿町1丁目の中原街道沿いにその記念碑が建立されております。 中原街道はまだ東海道が整備される前の時代、徳川家康公が江戸ご入府や鷹狩りなどに利用し、小杉御殿も利用しておりました。
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