竹千代手習いの間とは、徳川家康公が松平竹千代と名乗っていた幼少の頃、臨済寺の僧侶にして今川義元の名参謀・太原雪斎から手習いを受けていた部屋の再現展示です。
令和2年4月26日放送の大河ドラマ『麒麟がくる』紀行第15回でも、この部屋の再現展示が紹介されました。
竹千代手習いの間は、駿府城公園の東御門・巽櫓に設立された資料館で展示されております。
家康公は今川義元の下に送られて駿府で人質として過ごしていた頃に、雪斎から様々な知識を学び得ており、後の家康公の基礎が出来上がった時期でもありました。
はじめに
駿府城公園東御門・巽櫓の内部は様々な展示物が展示されております。
「厭離穢土欣求浄土」と書かれた家康公の有名な旗印なども展示されており、家康公ファン必見の資料館となっております。
臨済寺とは
若き日の家康公(松平竹千代君)は今川義元の本拠地・駿府にて、人質として過ごしていました。
その頃、勉強熱心な家康公は今川義元の名軍師・太原雪斎に教えを受けていたのです。
太原雪斎が住職を務める臨済寺は、その手習いの舞台となりました。
静岡県静岡市。かつてこの地は、今川義元の本拠地で、駿府と呼ばれていました。臨済寺は、太原雪斎(たいげん・せっさい)が開山(かいさん)となり、創建された今川氏の菩提寺(ぼだいじ)です。修行僧の道場として、今なお、静寂な空気を漂わせています。
雪斎は、幼少期の義元の教育係を務め、家督を継いだあとは、外交や軍事面から支え、今川氏の繁栄に貢献しました。雪斎は、このころ人質となっていた松平竹千代、のちの徳川家康の教育係も務めたといわれています。
「黒衣の宰相」とも評された雪斎は、駿河・遠江(とおとうみ)、さらに三河へと勢力を拡大していく今川氏にとって、なくてはならない存在だったのです。
引用元:第十五回 静岡県静岡市 | 紀行 | NHK 大河ドラマ『麒麟がくる』
駿府城公園東御門・巽櫓の展示にも紹介のパネルが展示されています。
ただし、臨済寺は現在もお坊さん方が修行されていらっしゃる場なので、あまり観光に押しかけるのは良くない模様です。
竹千代手習いの間
竹千代手習いの間は現在、駿府城公園東御門・巽櫓にて復元展示されております。
部屋はかなり手狭な印象を受けました。
上記の写真は手ブレしてしまって読みづらいので、以下にその内容を示しておきます。
竹千代手習いの間(復元)
この部屋は、家康公(幼名・竹千代)の勉強部屋です。
家康公は、天文十八年(一五四九年)から十二年間、今川義元の人質として駿府で生活していました。八才から十九才の時です。
家康公は人質の間、この部屋で今川家軍師の臨済寺住職雪斎和尚から学問を学んだと伝えられています。現在、特別に臨済寺様より許可を得て、「手習いの間」を原寸で、ここに復元しています。
ご注意
臨済寺は修行道場であるため、見学は制限されています。通常、お寺を訪ねても建物内部の拝観はできません。
ただし、臨済寺様が定めた日に限り、建物に入ることができます。引用元:駿府城公園東御門・巽櫓『竹千代手習いの間(復元)』案内看板
この手の復元展示の中では、結構しっかりと作り込まれているという印象を受けます。
部屋の中は覗き込むと左右の壁面も見ることができます。
大河ドラマ『麒麟がくる』松平竹千代君の動向
令和2年4月19日(日)放送の第14話「聖徳寺の会見」では、どうも家康公の周辺をうろついている菊丸(演:岡村隆史さん)が、今回は駿府にいました。
これは今、家康公が駿府にて人質生活を送っている事を示唆していると思います。
家康公が歴史の表舞台に出てくるのは、桶狭間の戦いより少し前に、今川勢として織田方の砦を攻め落としていく活躍を見せる時ですので、その様子を風間俊介さんがどう演じるのか、楽しみに待ちたいと思います。
案内情報
名称:竹千代手習いの間(復元)
住所:静岡県静岡市葵区駿府城公園1-1(駿府城公園東御門・巽櫓)
交通:JR静岡駅徒歩約15分・静岡鉄道新静岡駅徒歩約12分
参考:【公式】駿府城公園
名称:臨済寺
住所:静岡県静岡市葵区大岩町7-1
交通:JR静岡駅北口バス16番のりば中原池ヶ谷線から瀬営業所行約15分「臨済寺」下車徒歩約5分
参考:臨済寺/ハローナビしずおか 静岡県観光情報
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