多摩川浅間神社は、東京都大田区にある神社です。
多摩川浅間神社の創建は、鎌倉幕府を開いた源頼朝公の妻・北条政子が頼朝出陣の後を追って同地を訪れた際の出来事に由来しています。
文治年間(1185年〜1190年)に創建されました。
また、近年では映画『シン・ゴジラ』のロケ地としても有名です。
【追記】令和3年6月24日放送のNHK『日本人のおなまえ』にて登場しました。
今晩放送の #NHK #日本人のおなまえ は #大河ドラマ #青天を衝け 特集ですが、#多摩川浅間神社 の展望台が登場しました。#東急 #東横線 #多摩川橋梁 を見下ろせる、見晴らしの良い景色を楽しめるのでおすすめです。
多摩川浅間神社|源頼朝の妻「尼将軍」北条政子ゆかりの地https://t.co/H1w13EgHHI
— taka(徳川家康公ファンの歴史ブログ) (@taka_ieyasufan) June 24, 2021
2021年の大河ドラマ『青天を衝け』特集にて、渋沢栄一ゆかりの地として多摩川浅間神社が紹介されました。
創建のきっかけは「尼将軍」北条政子の怪我!?
多摩川浅間神社の創建は、文治年間(1185年〜1190年)に遡ります。
源頼朝公が豊島郡滝野川松崎へ出陣した折、妻の北条政子が夫の身を案じて後を追いました。
しかし、その道中で足の傷が痛み、多摩川の畔で休みました。
その際に、頼朝公の武運長久を願い、身につけていた正観世音像をこの地に立てました。
これが多摩川浅間神社のおこりです。
同社の境内には、以下の通り詳細が記された案内看板があります。
創建は八〇〇年前の鎌倉時代
当浅間神社は、今から八百年前の創建と伝えられます。鎌倉時代の文治年間(一一八五〜九〇)、右大将源頼朝は、豊島郡滝野川松崎に出陣しました。
夫の身を案じた妻政子は、後を追ってここまで来ましたが、わらじの傷が痛み出し、やむなく多摩川畔で傷の治療をすることになりました。
逗留のつれずれに亀甲山(かめのこやま)へ登ってみると、富士山がじつに鮮やかに見えました。富士吉田には、自分の守り本尊である「浅間神社」があります。
政子は、その浅間神社に手を合わせ、夫の武運長久を祈り、身につけていた「正観世音像」をこの丘に建てました。
村人たちはこの像を「富士浅間大菩薩」と呼び、永く尊崇しました。これが「多摩川浅間神社」のおこりです。
承応元年(一六五二)五月、浅間神社表坂の土どめ工事をしていたとき、九合目辺りから唐銅製の正観世音の立像が発掘されました。多摩川で泥を洗い落としてみると、片足がありません。そこで足を鋳造してお祀りし、六月一日に神事を行いました。以来、ご祭礼は六月に行っております。引用元:多摩川浅間神社看板
源頼朝公と北条政子は、夫婦仲が良かった事でも有名な夫婦でした。
まさに夫を想う妻の愛が、800年後も神社として形に残っていると思うと歴史ロマンがありますね。
また、江戸時代に編纂された地誌『新編武蔵風土記稿』には、以下の通り記されています。
下沼部村
淺間社除地、小名堀廻しの西の方二十四五歩ばかりの山上にあり、勸請の年歴等も詳ならず、祭禮は六月朔日なり東光院のもちなりと云、
石龕
山の上中央の所にあり、一尺五寸四方、高さ三尺東向なり、本尊正觀音は銅佛立像にて長八寸許、相傳此像は古佛にして此所へ垂跡ありし年代も詳ならず、一年洪水ありし時風雨ことに烈しくして社内も破壞せしかば、尊像の所在を失ふ、これに因て土人新に前立の木像を作りて安置せり、長八寸許、其後〔今より七十二年以前を云〕此所の大木の松樹かれしかば、別當より百姓等に課せて其根をほらしむるに、その邊より一軀の尊像をほり出す、此時鍬にてうちかきしとて右のかひなを失ふ、されどそのまゝにありしかば、文化六年土人相はかりて冶工に命じて右の手を修理して是を安置す、その尊像及び前立の木佛共に今は別當寺におさめり、華表
山の中腹にあり、幅七尺の方に向ふ、引用元:蘆田伊人[1981]『大日本地誌大系8 新編武蔵風土記稿第2巻』(雄山閣)P.372「新編武蔵風土記稿巻之五十 荏原郡之十二 世田谷領 下沼部村 淺間社」
『新編武蔵風土記稿』の記載では、北条政子によるエピソードは記載されていないようです。
ただ、正観世音像が発掘された事や、その片足が折れていたので修復された事などが記されています。
多摩川浅間神社
多摩川浅間神社は東急東横線「多摩川駅」徒歩約2分の位置にあります。
また、すぐ側を多摩川や中原街道が通っているという場所です。
参道
多摩川浅間神社は一帯が小高い丘状になっており、木々が生い茂っています。
概観・入口
こちらが、多摩川浅間神社の入り口です。
こちらが、多摩川浅間神社の参道です。
参道は石段になっています。
多摩川浅間神社の社標です。
大祓詞石車
多摩川浅間神社の参道入口には、大祓詞石車があります。
大祓詞石車は、清らかな気持ちと身体で参拝するために一周させて、身を清めてから参拝するためのものだそうです(1周回すことで、祓の大祓詞を奏上したことになるそうです)。
ただ、残念ながら2020年夏現在、新型コロナウイルスの影響により使用できません。
参道
参道の石段を登っていくと、石鳥居があります。
こちらが、参道中腹にある石鳥居の扁額です。
参道の中腹左側に社務所があります。
さらに参道の石段が続きます。
参道右手には謎の石碑があります。
石碑の一部が削り取られているようにも見えます。
参道は緑にあふれる素敵な雰囲気です。
こちらが、境内入口の石鳥居です。
境内入口にある石鳥居の扁額です。
境内の入口から参道を見下ろすと、思っている以上に高さがある印象です。
白糸の滝
参道沿いに「白糸の滝」があります。
氏子が奉納した富士の溶岩を使用し、富士の溶岩から白糸のように出る水として建立されました。
ただし、流れる水は飲めません。
食行身録之碑
明治時代に地元富士講が富士登拝33回を記念し、勝海舟に書を依頼し出来た石碑です。
食行身録とは富士信仰の開講として知られています。
境内
こちらが、多摩川浅間神社の境内です。
入口から向かって左側に手水舎、見晴台、子産石、石碑『たけくらべ』などが、右側に末社、神楽殿、授与所があります。
手水舎
こちらが、多摩川浅間神社の手水舎です。
手水舎の裏側です。
見晴台
手水舎の奥には見晴台があります。
見晴台からは多摩川浅間神社の側を走る東急東横線鉄橋が見えます。
また、中原街道の橋も見えます。
デートするカップルの姿もちらほら見えました。
子産石
多摩川浅間神社の境内には子産石があります。
子産石については案内看板が立てられています。
この石は清らかな海の岩で、長い年月を経て自然に生まれた石で古来よりこの石を両手でやさしく撫でると子宝に恵まれると言い伝えられています。
また、多摩川浅間神社の御祭神「木花咲耶姫命」は炎の中で出産したといわれ、子宝・安産・子育ての神として信仰されています。
たけくらべ
公式ページによると「参拝の折に家族でこの『たけくらべ』の石碑で背を図って写真を撮る光景が多くみられる。この石碑の上は富士をイメージしている」のだそうです。
末社(小御嶽神社・阿夫利神社・稲荷神社)
末社には、山岳信仰の三峯神社・小御嶽神社・阿夫利神社と、食物・農耕の信仰の稲荷神社が祀られています。
末社は向かって右から順に、小御嶽神社、稲荷神社、三峯神社、阿夫利神社です。
こちらが小御嶽神社の扁額です。
こちらが稲荷神社の扁額です。
こちらが三峯神社の扁額です。
こちらが阿夫利神社の扁額です。
神楽殿
こちらが、多摩川浅間神社の神楽殿です。
授与所
こちらが、多摩川浅間神社の授与所です。
多摩川浅間神社では、この授与所にて御朱印や各種お守り等を受け付けています。
狛犬
こちらが、多摩川浅間神社社殿の狛犬(右側・阿形)です。
こちらが、多摩川浅間神社の狛犬(左側・吽形)です。
社殿
こちらが、多摩川浅間神社の社殿です。
とても綺麗で立派な社殿ですね。
社殿右側(授与所側)から見るのも見応えがあります。
とても品がある社殿です。
授与所の奥には道が続いており、社殿の奥まで見られます。
こちらが、多摩川浅間神社・社殿の扁額です。
映画『シン・ゴジラ』に登場する多摩川浅間神社
多摩川浅間神社は映画『シン・ゴジラ』のロケ地にもなりました。
作中では、この多摩川浅間神社に対ゴジラ戦「タバ作戦」の指揮所が置かれました。
多摩川浅間神社の授与所では、映画『シン・ゴジラ』のお守り&絵馬セットや手ぬぐいを入手できます。
また、境内には『シン・ゴジラ』が描かれた自動販売機もあります。
アクセス
- 名称:多摩川浅間神社
- 住所:東京都大田区田園調布1丁目55-12
- 電話:03-3721-4050
- Webページ:https://sengenjinja.info/index.html
- 交通:東急東横線・多摩川線・目黒線・南北線・三田線「多摩川駅」下車徒歩2分
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