浄土宗来迎山峰月院宗仲寺は、徳川家康公ゆかりの寺であり、家康公がお手植えされた銀杏の木が現存しています。
家康公が、鷹狩りの際に立ち寄ったとの言い伝えが残されています。
また、元和3年(1617)家康公のご棺を駿府の久能山東照宮から日光東照宮に移動する際は、この宗仲寺で休憩しました。
宗仲寺の縁起
徳川幕府の昌平坂学問所が天保12年(1841)に編纂した地誌『新編相模国風土記稿』では、宗仲寺について以下の通り記されています。
【昌平坂学問所についてはこちら】
宗仲寺
來光山峯月院と號す、淨土宗鎌倉郡岩瀨大長寺末、慶長八年領主内藤修理亮淸成、實父竹田宗仲菩提の爲に創建し(按ずるに、宗仲は慶長十一年に卒す、然ば送修の爲創せしが、又は八年と云は誤か)、岩瀨大長寺四世源榮(星蓮社曉譽存阿疑信と號す)を兩て開山とし、兩寺兼任せしむ、東照宮兼て源榮を知しめざれしにより、中原御殿駐蹕の時は時々當寺に入御ありて、法義等の御談話あり、又源榮數奇の聞えありしにより茶器七種を賜はれり、今に寺寶とす(七種は松笠釜、水指、茶杓袋入、茶入、茶筅、柄杓、各一個、茶碗三口等なり)、其頃清成境内に御殿を設け、御休憇の所とす、山號及制札も此時賜はれり(寺中不入の制札なり、慶長十一年三月奉行となり、今に門外に建置けり)、同十九年源榮參州大樹寺に轉住す、元和三年神柩日光山遷御の時三月二十一日、中原御宿殿を發せられ、境内御殿に御休輿あり、明年源榮病に依て當寺に退隱す、寛永十年十一月一〇日寂す、年八十一、寺領七石四斗餘、慶安二年八月二十四日御朱印を賜ふ、本尊三尊彌陀(中尊は惠心作)を安ず、東照宮
御身躰長三寸、開山源榮彫刻し奉ると云、淡島社
鐘樓
延寶六年鑄造の鐘を懸く、内藤氏墓五基
竹田宗仲夫婦、修理亮清成、若狹守清次、修理亮清政等の碑なり、碑面刻する所、宗仲は廣昌院林譽宗仲慶長十一年二月朔日卒、宗仲室、照樹院光譽榮法、慶長十一年九月二日卒、清成、孤光院照譽峯月、慶長十三年十月廿日卒、清次、寶林院天曉覺清、元和三年七月朔日卒、清政、岑巖院泰雄休安、元和九年六月廿六日卒す、引用元:蘆田伊人[1970]『大日本地誌大系21 新編相模国風土記稿第3巻』(雄山閣)P.339「新編相模国風土記稿巻之六十六 村里部 高座郡巻之八 澁谷庄 座間宿村 宗仲寺」
『新編相模国風土記稿』の要旨は以下の通りです。
- 鎌倉岩瀬の大長寺第4世源栄上人を開山として、領主の内藤清成が慶長8年(1603)に実父・竹田宗仲の菩提として創建した(宗仲は慶長11年に亡くなったので、慶長8年創建は誤りか?)。
- 家康公は源栄上人をご存知であり、中原御殿にご滞在の時は時々宗仲寺にお立ち寄りになり、法義等の御談話を聴いていた。
- 源栄上人は家康公から茶器7種を賜り、寺宝として保管されている(7種は松笠釜、水指、茶杓袋入、茶入、茶筅、柄杓、各一個、茶碗三口等)。
- 家康公より厚い信任を受けていた源栄上人は、慶長19年(1614)徳川家の菩提寺・大樹寺の住職となった。
- 元和3年(1617)家康公のご棺を駿府・久能山から日光山へ遷御する折は、同年3月21日に中原御殿を出発し、宗仲寺境内の御殿にご休輿された。
- 元和4年(1618)源栄上人が病によって宗仲寺に隠棲した。
- 寛永10年(1633)11月10日、源栄上人がお亡くなりになった(享年81歳)。
- 慶安2年(1649)8月24日、寺領7石4斗あまりの御朱印を賜った。本尊として三尊阿弥陀(中尊は恵心作)を安ず。
他に、家康公の木像、淡島社、鐘楼、内藤氏のお墓5基について、それぞれ項目があります。
なお、宗仲寺境内にある「家康公お手植えの銀杏」については、少なくとも『新編相模国風土記稿』には記述がありませんでした。
浄土宗来迎山峰月院宗仲寺
宗仲寺は神奈川県座間市座間1丁目3300にある、浄土宗のお寺です。
小田急小田原線「相武台前駅」で下車して徒歩25分、または同駅から神奈川中央交通バス・台14に乗車して「宗仲寺前」バス停下車徒歩0分で着きます。
宗仲寺・山門
こちらが、宗仲寺の概観です。
山門に向かって右側の最も大きくそびえ立つ銀杏の木が、家康公お手植えの銀杏です。
道路際すぐのところに力強く立っています。
宗仲寺の山門には案内看板が設置されており、お寺の縁起について紹介されています。
宗仲寺
山院号 来迎山峰月院
宗 派 浄土宗
所在地 座間一丁目三三〇〇番地
当寺は徳川家康公の重臣で、時の領主・内藤清成が、慶長八年(一六〇三)実父竹田宗仲の菩提のため、鎌倉岩瀬・大長寺第四世・源栄上人を開山として創建したと伝えられています。
当寺域には、平安時代に宗仲寺の前身として伝えられています、良真院、鎌倉時代には澁谷道場と呼ぶ修行場があり、その跡に当寺が建立されたと思われます。
源栄上人は家康公の厚い信任を受け、松平家の菩提寺であり、徳川家先祖の墳墓がある岡崎(愛知県)の大樹寺第十九世住職となった後、当寺へ隠棲されたと伝えられています。
当寺には家康公が在世中に鷹狩りの際、立ち寄られたといわれ、元和三年(一六一七)家康公の霊柩を久能山から日光へ遷御の折、一行が休息しました。後に、寺領として七石四斗の御朱印及び下馬札を賜ったほか、家康公から下賜された茶器一式、家康公木彫像(源栄上人作)、家康公肖像画一幅等が寺宝として伝えられています。
本堂等の伽藍は、明治九年の新戸大火で山門を残して焼失しましたが、同二十七年に再建され、昭和五十年に本格的改築が行われ、現在に至っています。
又、昭和五十六年には、水子観音堂が建立され、巨匠・山本豊市氏による乾漆彫刻の水子観音像が奉安されています。座間市指定重要文化財 六字名号碑
指定日 昭和四十四年六月二十四日
高さ(地上高) 一九〇センチメートル
建立 元和四年(一六一八)
当寺住職の墓地にあり、銘文は中央に大きく、南無阿弥陀彿(六字名号)、右側に当寺開山星蓮社暁誉存阿凝信源栄大和尚、左側に、三刕大樹寺第十九世佳于時元和四年十一月十日と刻んであり、当寺開山源栄上人の墓碑か、隠退記念碑かと考えられます。
この名号碑は、相模川以東の本県内では珍らしく、過渡的な板碑形式であり、市内では一石として最大であるとともに、建立年代の判明する最古の石造文化財です。座間市指定重要文化財 蜻蛉燈籠
指定日 昭和四十四年六月二十四日
高さ(総高) 二〇〇センチメートル
当寺の中庭に建っています。三月堂型に近く、江戸初期の形式です。
台座は後に補修したもののようで、心柱の銘文は判読し難く、造立の経緯も明らかではありませんが、源栄上人隠棲中の前庭の燈籠と思われます。昭和五十八年三月
座間市教育委員会引用元:座間市教育委員会[1983]『宗仲寺』『座間市指定重要文化財 六字名号碑』『座間市指定重要文化財 蜻蛉燈籠』(案内看板)
宗仲寺についての縁起は、おおむね先述の『新編相模国風土記稿』にて紹介されていた内容と同じです。
こちらの案内看板には宗仲寺の他にも、座間市指定重要文化財に指定されている「六字名号碑」と「蜻蛉燈籠」について、それぞれ紹介されています。
どちらも境内で見ることができますので、ぜひ見学してください。
また、この宗仲寺には、徳川家を象徴する「葵の御紋」が瓦などにあります。
鬼瓦にも見る事ができます。
また、山門前の掲示板にもあります。
さらに、本堂の屋根の一番上にある棟紋にも、堂々と「葵の御紋」が輝いています。
本堂の破風や瓦にも、葵の御紋がたくさんあります。
宗仲寺が徳川家ゆかりのお寺であることを伺わせます。
家康公お手植えの銀杏
私的に最も楽しみにしていたのが、この「家康公お手植えの銀杏」でした。
この銀杏を拝見するために、今回宗仲寺を訪れました。
この銀杏の木は国立国会図書館・古文書により徳川家康公のお手植えと判明いたしました。
宗仲寺
引用元:宗仲寺案内看板
このように看板が設置されていますので、史料に裏付けされた「家康公お手植え」なのだと思われます。
『新編相模国風土記稿』には記載されていませんでしたが、どの史料に記録が残されているのか気になる所です。
こちらが、宗仲寺境内に現存する「家康公お手植えの銀杏」です。
大変立派な銀杏ですね。
幹がとても太く、どっしりとした風格が漂っています。
まだ紅葉までは少し早かったようで、葉が青々と生い茂っています。
約420年程度前に家康公がお手植えされた銀杏が今なおこうして残っており、時を重ね続けている事に壮大なロマンを感じます。
【家康公お手植えの植物まとめ】
宗仲寺・境内
宗仲寺の境内は、山門を入って右手前方に「家康公お手植えの銀杏」があり、左手側に本堂があります。
本堂との間、参道沿いに水が張ってある中庭があり、その中央に蜻蛉燈籠が建っています。
また、本堂に向かって左側には鐘楼や水子観音堂があり、本堂の左側面1階に寺務所入口があります(御朱印はこちらで受け付けています)。
本堂から山門や「家康公お手植えの銀杏」方向の境内の様子です。
宗仲寺境内・手水舎
こちらが、宗仲寺の手水舎です。
建物はなく、水盤のみが設置されている形です。
宗仲寺境内・お地蔵さん
宗仲寺の境内には、お地蔵さんもいらっしゃります。
宗仲寺・寿老人(相模七福神)
宗仲寺の境内には、七福神の1人である寿老人もいらっしゃります。
なお、こちらの寿老人は「相模七福神」の1つです。
宗仲寺境内・水準点の記
宗仲寺の境内には、水準点の記があります。
境内にひっそりとありますので、参拝の際は探してみてください。
宗仲寺・蜻蛉燈籠
山門を入ってすぐ左手側に池があり(水深はとても浅く、水を張ってあるような感じ)、その右側に大きな灯籠が1基あります。
この灯籠が『蜻蛉燈籠』です。
建立当時から今日まで現存する部分は、灯籠内部の黄色い部分だけのようです。
灯籠の表面には碑文もありますが、灯籠自体が池の中にあるため双眼鏡やカメラのズームで読むことをお勧めします。
奉献
金銅菩薩奉楽文燈籠 壹基慶長八年 内藤清成公
實父竹田宗仲 菩提の為に
當山を開創 今 四百年の佳辰を迎う
その浄光は 縁者の心を癒し
永久に冥加を垂れ賜わんことを平成十五年 春彼岸
引用元:宗仲寺『蜻蛉燈籠』碑文
宗仲寺・鐘楼
こちらが、宗仲寺の鐘楼です。
とても立派な梵鐘が吊られています。
鐘楼の近くには「南無阿弥陀佛」の石碑もあります。
側面には、碑文が刻まれています。
どうやら、大正6年に建立されたようです。
宗仲寺・水子観音堂
宗仲寺の境内には、水子観音堂もあります。
こちらが、水子観音堂です。
水子観音堂には扁額もあります。
水子観音堂を横から見ると、立派な紅葉も楽しめます。
宗仲寺・延命地蔵尊
宗仲寺の本堂の左側には、延命地蔵尊がいらっしゃります。
とても穏やかな、暖かいお顔をされていらっしゃります。
宗仲寺・寺務所
宗仲寺の寺務所は、本堂の向かって左側面の1階にあります。
本堂の左側に看板が出ています。
こちらが、宗仲寺の寺務所入口です。
参拝の際は、御朱印をこちらの寺務所で頂けます。
宗仲寺・本堂
こちらが、宗仲寺の本堂です。
落ち着きと華やかさを併せ持つ、趣のある本堂です。
こちらが、宗仲寺本堂の賽銭箱です。
こちらが、宗仲寺本堂の扁額です。
今回は「家康公お手植えの銀杏」目当てに参拝しましたが、お寺全体がとても素敵なお寺でした。
ぜひ、一度訪れてみてはいかがでしょうか。
アクセス
- 名称:浄土宗来迎山峰月院宗仲寺
- 住所:神奈川県座間市座間1丁目3300
- 電話:046-254-9700
- 交通:小田急小田原線「相武台前駅」下車徒歩25分、神奈川中央交通バス・台14「宗仲寺前」下車徒歩0分、JR相模線「相武台下駅」徒歩7分