明治憲法起草の碑とは、明治憲法の草案づくりが行われた地として、神奈川県横浜市金沢区洲崎町7-4に設置された記念碑の事です。
明治20年(1887年)より、初代内閣総理大臣の伊藤博文を中心に、井上毅、伊東巳代治、金子堅太郎の4名が、当時この地にあった「東屋旅館」に集まり明治憲法の骨格が練られました。
順路
京急本線「金沢八景駅」下車、徒歩約7分程度で着きます。
外に出ると国道16号(横須賀街道)の交差点がありますので、左折して横須賀街道を川崎方面に向かって進みます。
奥に見える歩道橋を横断して、右折します。
そのまま少し進むと、左手に『明治憲法起草の地』案内板が設置されています。
明治憲法起草の地
『明治憲法起草の地』案内板は、普通の建物の一角にぽつんと設置されているので、注意していないと見落としてしまう可能性があります。
『明治憲法起草の地』案内板には、以下の通り記されています。
『明治憲法起草の地』
この地は、料亭東屋の跡で、明治20年(1887)伊藤博文、伊東巳代治、金子堅太郎、井上毅らが明治憲法制定のため草案を起草したところです。
明治20年6月から、東屋に集まり草案の構想を練っていました。金子、伊東は東屋に泊り、伊藤は夏島の別荘から、井上は野島旅館から通いました。8月6日夜、東屋の伊東の室に盗賊が入り機密書類の入っていた行李が盗まれましたが、翌日書類は無事発見されました。その後、伊東・金子両名は夏島の伊藤の別荘に移り、草案が完成されましたが、東屋が起草の地であるとして、昭和10年(1935)「憲法草創之処」という記念碑が金子堅太郎書で東屋裏庭内に建てられましたが、東屋廃業後、現在ここより40m東に移され設置されています。社団法人 横浜国際観光協会
横浜市教育委員会文化財課
平成3年3月
案内板の記載によると、元々『憲法草創之処』という記念碑がここに設置されていたものの、40m東に移設されたとの事。
なお、この「夏島の伊藤の別荘」跡にも記念碑があります(追記:平成31年3月16日)
憲法草創之處(明治憲法起草の碑)
『明治憲法起草の地』案内板の設置された場所から、再びそのまま直進を再開するとすぐに交差点があります。
この一角だけ松の木が植えられていて目立ちます。
『憲法草創之處』外観。
松の木がいい感じの雰囲気を演出しています。
『憲法草創之處』手前には『明治憲法起草の碑』が設置されております。
『明治憲法起草の碑』には、以下の通り記されています。
『明治憲法起草の碑』
この碑は明治20年(1887)伊藤博文伊東巳代治金子堅太郎らが料亭東屋において明治憲法制定のため草案を起草したのを記念し昭和10年(1935)金子堅太郎書で建立されたものである
料亭東屋跡は金沢八景駅寄り約100米
この『明治憲法起草の碑』では、なぜか井上毅の名前だけ省略されており、4人中1人だけ「ら」にまとめられてしまっています。
『憲法草創之處』記念碑には「伯爵金子堅太郎書」以外の記載がないので、実質この『明治憲法起草の碑』の記載に井上毅の名前だけないというのは、少々疑問が残りました。
他の明治憲法発祥関連史跡
今回訪れた『明治憲法起草の地』などの他に、この近くには伊藤博文が泊まっていた(後に憲法草案作成の地を移した)夏島があり、そちらには『明治憲法起草地記念碑』が設置されているようです。
また、大日本帝国憲法を改正する形を取り制定された、日本国憲法(昭和憲法・現行憲法)に関連して設置された『日本国憲法草案審議の地』は都内六本木にあるようなので、そちらは比較的手軽に訪れることができそうです。
近日、いずれも訪れてみる予定ですので、またブログにアップしたいと思います。
夏島の方を訪れましたので、こちらの記事にまとめました(追記:平成31年3月16日)。
また、日本国憲法草案審議の地も訪れましたので、併せてご覧ください(追記:平成31年3月17日)
余談ですが、法政大学の前身となる東京法学校の初代教頭・ボアソナード氏も、日本近代法の礎となったお一人でした。