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曹洞宗金寳山安心院(愛知県岡崎市)|源義経との悲恋『浄瑠璃姫伝説』

金寳山安心院(愛知県岡崎市)本堂・概観 徳川家臣団ゆかりの地

曹洞宗金寳山安心院は愛知県岡崎市にある、源義経ゆかりのお寺です。

名鉄名古屋本線「東岡崎駅」下車徒歩5分、徳川家康公の産土神を祀る六所神社のすぐ近くにあります。

岡崎の家康公ゆかりの地巡りをする際は、ぜひ六所神社と共に訪れてはいかがでしょうか。

なお、安心院は家康公の忠臣・成瀬家ゆかりの地でもあります。

安心院の縁起・源義経と浄瑠璃姫の悲恋『浄瑠璃姫伝説』

曹洞宗金寳山きんぽうざん安心院の発祥は平安時代末期まで遡ります。

平安時代末期の承安4年(1177年)、後に源義経と名乗ることになる青年・牛若丸(遮那王しゃなおう)は、奥州藤原家第3代当主・藤原秀衡ふじわらのひでひらを頼り、奥州・平泉を目指して旅を続けていました。

その最中、矢作の里を訪れた折に、義経は兼高長者の家に宿をとりました。

兼高長者の娘・浄瑠璃姫が奏でる琴の音色に、義経が笛を吹き合わせたことから、2人は次第に惹かれあっていきます

しかし、義経は父・源義朝が「平治の乱」で平家に敗死したために、数え年で2歳の頃から母や兄弟と共に逃亡生活を送り、11歳で鞍馬寺に預けられ、15歳で鞍馬寺を脱走した身の上です。

義経は浄瑠璃姫をこの地に置いて、奥州へと旅立ちました。

しかし、義経を想うも決して結ばれることのない想いに苦しみ、浄瑠璃姫はついに菅生川に身を投げて、その短い生涯を終えました。

その後、治承6年(1182年)~元暦元年(1184年)頃、兄・頼朝の元で平家と戦っていた義経は、浄瑠璃姫の菩提を弔うために妙大寺を建立しました。

建立当時の妙大寺は、見事な七堂伽藍を備えた大寺でしたが、その伽藍は度々兵火に遇い、ついに廃寺となってしまいます。

以降、義経の念持仏を浄瑠璃姫が賜ったものであると伝わる『木造十一面観世音菩薩坐像』を安置する、草庵そうあんわらかやなどで屋根をふいた、草ぶきの粗末な小さな家)となりました。

時は降って室町時代の永享11年(1439年)、影山城主・成瀬国平が自身の母を追善するために、龍沢永源禅師を開山として安心院を創建しました。

それ以降、成瀬氏の菩提寺となった安心院には、成瀬氏数代の墓と位牌があります。

金寳山安心院(愛知県岡崎市)案内看板『岡崎市指定文化財彫刻木造釈迦如来坐像一軀』

岡崎市指定文化財
彫刻 木造釈迦如来坐像もくぞうしゃかにょらいざぞう 一軀

像高 三二・八cm。寄木造、玉眼篏入、漆箔。
安心院は成瀬国平が大檀那となり、龍沢永源を開山として創建した曹洞宗の寺院である。木造の台座裏の墨書銘に「旹文安五戊辰年八月十五日/三州額田郡高宮村/金峯山安心禅院、/諸堂建立成就/本願施主当国六名影山城主/成瀬大蔵佐国平(花押)/開山龍沢叟/住持芳源代」と記され、六名影山城主の成瀬国平が文安五年(一四四八)八月に当院の諸堂を完成させたことがわかる。
この像もこの時期に造られたらしく、像自体の様式とも矛盾しない。なお、光背こうはいは後補のものと思われる。

昭和三十五年三月十日指定
岡崎市教育委員会

引用元:安心院案内看板『岡崎市指定文化財 彫刻 木造釈迦如来坐像もくぞうしゃかにょらいざぞう 一軀』

ちなみに、この成瀬国平の曽孫ひまごにあたるのが、かの「三方ヶ原の戦い」で徳川家康公を守るために討ち死にした忠臣・成瀬正義です。

「三方ヶ原の戦い」で家康公を守るために討ち死にした忠臣・成瀬正義のお墓はこちら

宗源院(静岡県浜松市)|「三方ヶ原の戦い」で討死した成瀬正義らが眠る寺
宗源院は、静岡県浜松市にある曹洞宗のお寺です。 宗源院には、徳川家康公の忠臣で「三方ヶ原の戦い」にて討死した成瀬正義の墓所があります。 また、同じく「三方ヶ原の戦い」にて徳川勢の旗手を務め、その撤退戦の最中に討死した外山正重の墓所もあります。

また、成瀬国平の玄孫やしゃごにあたるのが、家康公の忠臣として数々の功績を挙げ、ついには家老にまで取り立てられた成瀬正成です。

そういった意味で安心院は、徳川家臣団ゆかりのお寺でもあると言えます。

曹洞宗金寳山安心院

安心院へは、名鉄名古屋本線「東岡崎駅」南口から向かいます。

名鉄名古屋本線「東岡崎駅」駅名標

名鉄名古屋本線「東岡崎駅」南口下車・徳川家康公ゆかりの神社はこちら

六所神社(愛知県岡崎市)|徳川家康公の産土神を祀る松平家ゆかりの神社
六所神社は、松平家初代・松平親氏の時から産土神として信仰されてきました。 松平家9代目となる徳川家康公の産土神として拝礼が行われたのも、この六所神社です。 古くは征夷大将軍・坂上田村麻呂が、東征の折に祈願しました。 境内の社殿等は徳川幕府三代将軍・徳川家光が造営した当時の物が現存しています。

金寳山安心院:山門・境内の様子

こちらが、安心院の山門です。

金寳山安心院(愛知県岡崎市)山門概観

安心院の寺標です。

金寳山安心院(愛知県岡崎市)寺標

寺標の他に「子育観音安心院」と書かれた石標があります。

金寳山安心院(愛知県岡崎市)石標『子育観音安心院』

こちらが、安心院の境内の様子です。

境内の中から撮影した写真ですが、下の写真の左端が山門です。

金寳山安心院(愛知県岡崎市)境内の様子・山門右側

下の写真は、上の写真の左側を撮影したものです。

同じ位置から撮影しました。

金寳山安心院(愛知県岡崎市)境内の様子・山門左側

こちらは、本堂の向かって左側にある庭です。

金寳山安心院(愛知県岡崎市)庭園入口

紅葉がとても美しく、趣のある景色です。

金寳山安心院(愛知県岡崎市)庭園の紅葉

金寳山安心院:子育て地蔵・百度石・松尾芭蕉句碑

こちらが、安心院の子育て地蔵です。

金寳山安心院(愛知県岡崎市)子育て地蔵・概観

3人のお子さんと共に、とても安らかな御姿で鎮座されています。

金寳山安心院(愛知県岡崎市)子育て地蔵

安心院の子育て地蔵の花立には、成瀬家の家紋「丸に片喰まるにかたばみ」が掘られています。

金寳山安心院(愛知県岡崎市)子育て地蔵・花立の家紋「丸に片喰」

安心院の百度石です。

金寳山安心院(愛知県岡崎市)百度石

こちらは、安心院の松尾芭蕉句碑です。

金寳山安心院(愛知県岡崎市)松尾芭蕉句碑

金寳山安心院:手水舎・水掛地蔵尊

こちらが、安心院の手水舎です。

金寳山安心院(愛知県岡崎市)手水舎

手水舎の水盤は比較的新しい物のようです。

金寳山安心院(愛知県岡崎市)水盤

こちらが、安心院の水掛地蔵尊です。

金寳山安心院(愛知県岡崎市)水掛地蔵概観

「水かけ」とは言いつつも、素敵な帽子と前掛けを召していて、筆者は水をかけられませんでした。

金寳山安心院(愛知県岡崎市)水掛地蔵

こちらが、水掛地蔵尊の扁額です。

金寳山安心院(愛知県岡崎市)水掛地蔵・扁額

金寳山安心院:本堂・千体地蔵・御朱印

こちらが、安心院の本堂です。

金寳山安心院(愛知県岡崎市)本堂・概観

華美さはありませんが、こういう落ち着いた風合いの本堂はとても素敵だと思います。

金寳山安心院(愛知県岡崎市)本堂・近景

安心院本堂の扁額は、屋内に掲げられています。

金寳山安心院(愛知県岡崎市)本堂・近景(扁額と家紋「丸に片喰」)

こちらが、安心院本堂の扁額です。

金寳山安心院(愛知県岡崎市)本堂・扁額

安心院の本堂には、いたるところに成瀬家の家紋「丸に片喰まるにかたばみ」があります。

金寳山安心院(愛知県岡崎市)本堂・家紋「丸に片喰」

屋根の鬼瓦にも「丸に片喰」があります。

金寳山安心院(愛知県岡崎市)本堂・屋根鬼瓦の家紋「丸に片喰」

本堂の屋根の棟紋にも「丸に片喰」が。

金寳山安心院(愛知県岡崎市)本堂・屋根瓦の棟紋「丸に片喰」

本堂の屋根には、鳩の瓦(?)もあります。

金寳山安心院(愛知県岡崎市)本堂・屋根瓦の鳩と家紋「丸に片喰」

とても可愛らしくて素敵ですね。

ぜひ、参拝の際は探してみてください。

安心院の御朱印は、本堂前に書き置きしてあります。

金寳山安心院(愛知県岡崎市)御朱印・納経所

安心院の御朱印は、書き置きのものに自分でスタンプ(法印)を押す仕組みになっています。

金寳山安心院(愛知県岡崎市)スタンプ

御朱印のサンプルもありますので、こんなかんじに法印を押すと良いでしょう。

金寳山安心院(愛知県岡崎市)御朱印

本堂の扉に納経料を納める場所がありますので、御朱印をいただく際は必ず納経料を納めましょう

金寳山安心院(愛知県岡崎市)納経料

安心院は、三河新四国29番30番札所に指定されています。

金寳山安心院(愛知県岡崎市)三河新四国29番30番札所

また、岡崎三十六地蔵第30番31番札所でもあります。

金寳山安心院(愛知県岡崎市)おかまいり岡崎三十六地蔵第30番第31番札所

本堂内部の様子です。

金寳山安心院(愛知県岡崎市)本堂・内部

賽銭箱は本堂の内部にあります。

金寳山安心院(愛知県岡崎市)本堂・賽銭箱

こちらが、安心院の千体観音です。

金寳山安心院(愛知県岡崎市)本堂・千体観音

源義経や徳川家臣団でも名を馳せた名門・成瀬家ゆかりのお寺、岡崎旅行の際はぜひ参拝してみてはいかがでしょうか。

アクセス・案内情報

  • 名称:曹洞宗金寳山安心院
  • 住所:愛知県岡崎市明大寺町馬場東54
  • 電話:0564-51-5411
  • 交通:名鉄名古屋本線「東岡崎駅」南口から徒歩約5分

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