御旗山は「小牧・長久手の戦い」における「桧ヶ根の戦い」での徳川方敗北の報せを受けた徳川家康公が、色金山から陣を移した場所です。
御旗山は「桧ヶ根の戦い」で勝利した直後の羽柴方・堀秀政の陣からすぐ近くにあり、御旗山に家康公が立てた金扇の馬印を見た秀政は形勢の不利を悟り、分断された池田恒興・元助勢と森長可勢からの援軍要請を無視して撤退しました。
この家康公による分断策が、この直後に始まる「長久手の戦い」の勝利を引き寄せました。
その後、江戸時代に入ると富士浅間神社が建立されました。
御旗山の見所ベスト3
- 御旗山は野戦合戦の達人である家康公が、羽柴方の軍勢を分断するために布陣した場所。
- その分断策が「長久手の戦い」での徳川方勝利を大きく引き寄せた。
- 現在、御旗山には富士浅間神社がある。
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御旗山
御旗山は標高僅か86mの山です。
ですが、長久手古戦場一帯の地形では周囲の見晴らしが良く、陣を構える場所として適しています。
また、例え標高86mの山であったとしても、やはり山に布陣すると守りやすく、敵からは攻めづらいという効果が期待できます。
小牧山城から小幡城を経由して色金山に布陣していた家康公でしたが、いずれも山状になっているか、周囲から高い場所にある場所でした。
そして、色金山から出て羽柴方の軍勢を分断するのに、御旗山はうってつけの好立地だったと言えます。
そこを見逃さずに御旗山に布陣した家康公は、やはり野戦合戦の巧者だったという事でしょう。
天正12年(1584年)4月9日の朝、家康公は色金山から御旗山に移ります。
その後、家康公は同日午前10時頃に、御旗山から仏ヶ根(現在武蔵塚がある辺りの北部)と前山(現在長久手古戦場跡碑がある辺りの東部)に布陣しました。
そうして「長久手の戦い」に突入していきました。
国史跡 長久手古戦場 御旗山
天正12年(1584)4月9日、色金山に兵を進めた家康は、そこで家康方の大須賀康高・榊原康政らの先遣隊が、白山林(尾張旭市)で秀吉方の三好秀次隊を破ったことを知りました。しかしその後、先遣隊は檜が根山麓で、秀吉方の堀秀政隊に敗れ、敗走を始めました。家康は直ちに救援を決め、南方岩崎方面(日進市)にいる秀吉方の池田・森隊の様子をうかがいながら御旗山に進軍し、頂上に金扇の馬標を立てました。
御旗山は後年、地元の人々によって富士浅間神社が祀られるようになり、富士が根とも呼ばれるようになりまた。引用元:御旗山案内看板『国史跡 長久手古戦場 御旗山』
参道入口・石鳥居
こちらが、御旗山の麓です。
現在は、御旗山一帯が富士浅間神社になっていますので、参道の入口があります。
こちらは、御旗山・富士浅間神社の石鳥居の扁額です。
こちらは、富士浅間神社の社標です。
参道入口の付近には、長久手市の観光情報を発信している『NAGAKUTE GUIDE』の案内ポスターがあります。
現在は既にサービスを終了しているのか、ポスターに書かれているQRコードのURLにアクセスしようとしても、該当ページにはアクセスできません。
ですが、このポスターにある長久手商店街のWebページには、長久手エリアの史跡などについて案内情報が掲載されていますので、ぜひチェックしてみてください。
この富士浅間神社はペット同伴禁止ですので、ご注意ください。
ちなみに、この掲示物で富士社と併記されている景行天皇社ですが、天正年間に家康公が戦勝祈願に訪れた神社だそうなので、時間に余裕のある方はぜひ景行天皇社にも寄ってみると良いと思います。
景行天皇社は「長久手の戦い」後の慶長9年(1604年)、現在の地に遷座したそうです。
その後、天正年間に家康公が戦勝祈願に訪れ、その折に三つ葉葵のあしらわれた太刀3振を寄進しました。
参道・二の鳥居
こちらが、御旗山・富士浅間神社の二の鳥居です。
入口から山道の階段を一直線に登ると、ちょうど山の中腹あたりに二の鳥居があります。
こちらは、二の鳥居の脇にある社標です。
富士浅間神社
こちらが、御旗山の山頂にある富士浅間神社です。
社殿の脇には、御旗山の記念碑がひっそりとあります。
こちらが、御旗山・富士浅間神社の手水舎です。
こちらは手水舎の水盤です。
御旗山の富士浅間神社・社殿です。
小さいながらも、地元の方々から大切にされている雰囲気を感じます。
社殿の壁面には、富士浅間神社の縁起が書かれています。
富士社記
一、祭神 木花開耶姫命
一、例祭 十月十五日
一、由緒
天正十二年(一五八四)四月の長久手合戦の折、家康が陣を張ったこの山に、元和三年(一六一七)六月創建されたと伝へられる。
明治五年村社に列格。昭和二十一年宗教法人となる。昭和四十五年社殿の大改修をしたが昭和六十年十二月火災により消失。
平成三年十月長湫区と崇敬者の支援により再建し、面目を一新した。
地域の守護神として、特に幼児の虫封じに御神威があるとされている。
一、境内地 六二九坪(国指定史跡)引用元:富士浅間神社『富士社記』
こちらは、富士浅間神社の賽銭箱です。
富士浅間神社・社殿の扁額です。
御旗山・山頂
こちらが、御旗山山頂にある記念碑です。
現在の御旗山は全体が木々で覆われているため、山頂から周辺の景色を見ることはできません。
参道もまた、木々で覆われています。
このように、残念ながら「小牧・長久手の戦い」当時に家康公が山頂から見た景色を楽しむことはできませんが、まだこうして山として残されているので、布陣した当時の雰囲気を味わうことはできます。
また、堀秀政陣跡付近の香流川から御旗山が見えますので、御旗山から秀政の陣所跡へ向かう際はぜひ香流川の川沿いの道を通ってみてください。
(下の写真の右奥に見える木々が盛り上がっている部分が御旗山です)
かつて、秀政もこうして御旗山とそこに立った家康公の金扇を見たのだろうと思うと、歴史のロマンを楽しめますよ。
【関連史跡】御旗山のすぐ近くにある堀秀政陣跡
(近日中に記事公開予定)
ちなみに、家康公は色金山から香流川を渡って御旗山に向かいました。
今日でも、色金山の麓あたりで香流川を見ることができますので、ぜひそちらもチェックしてみてください。
上の写真を撮影したのは、色金山の麓にある安昌寺付近です。
「長久手の戦い」後に戦死者たちを供養した雲山和尚が創建した安昌寺
(近日中に記事公開予定)
家康公が御旗山に移動する前に布陣していた色金山
(近日中に記事公開予定)
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アクセス・案内情報
- 名称:御旗山(富士浅間神社)
- 住所:愛知県長久手市富士浦602
- 交通:愛知高速交通東部丘陵線(リニモ)長久手古戦場駅から徒歩約15分
- 備考:『長久手城跡』から自転車で約3分