東照宮御遺訓は後世の創作だった!?|本当の徳川家康公御遺言とは?
今日、徳川家康公の御遺言として伝わるものに『東照宮御遺訓』があります。
これは「人の一生は重荷を負て遠き道を行くがごとし。急ぐべからず……」という出だしで有名ですね。
ですが、実は後世の創作だとする説があるのをご存知ですか?
今回は『東照宮御遺訓』と「家康公が遺した本当の御遺言」について、まとめました。
「日光東照宮や久能山東照宮、他には上野東照宮などでも境内に掲示されている『東照宮御遺訓』が偽物の訳ないだろう」とお思いの方も、ぜひ最後までご覧になってみてください。
世良田東照宮(群馬県太田市)|最初の日光東照宮社殿が現存する徳川家発祥の地
金ピカの豪華絢爛な社殿で有名な日光東照宮ですが、実は最初から今の社殿ではありませんでした。
2代将軍・徳川秀忠が家康公を祀るために建てた最初の日光東照宮は、家康公の遺言により質素な社殿でした。
その後、3代将軍・徳川家光が今の金ピカ日光東照宮に建て替えたのですが、その時に最初の社殿は移築されました。
今回は、その日光東照宮の最初の社殿が現存する、世良田東照宮をご紹介いたします。
元城町東照宮(静岡県浜松市)|徳川家康公と豊臣秀吉の銅像が並ぶ神社
元城町東照宮(もとしろちょうとうしょうぐう)は、静岡県浜松市にある神社です。
戦国時代に引間城(曳馬城)があった地に、明治19年(1886年)に建立されました。
かつて、浜松城を本拠地とした徳川家康公を祀っています。
浜松八幡宮(静岡県浜松市)|敗走した徳川家康公が逃げ隠れた雲立楠
浜松八幡宮は静岡県浜松市にある神社です。
徳川家康公が「三方ヶ原の戦い」で武田信玄に惨敗し、敗走する際に逃げ隠れた雲立楠が現存しています。
また、浜松城の鬼門を護る神社でもあります。
上野東照宮|徳川家康公を祀る黄金の東照宮(夜間ライトアップも)
上野東照宮は寛永4年(1627年)に藤堂高虎が、当時上野にあった自身の敷地内に創建したのが発祥です。
その後、慶安4年(1651年)に家康公の孫である三代将軍・徳川家光が改築したものが、現在まで残る社殿となっております。
近年は、期間限定で夜間ライトアップも行われております。
船橋御殿跡東照宮|徳川家康公ゆかりの史跡「日本一小さい東照宮」
船橋御殿跡東照宮は、千葉県船橋市本町4丁目29-7にある船橋御殿の跡地に建つ東照宮です。
船橋御殿は徳川家康公によって、鷹狩や領内視察などの宿泊や休憩所として慶長19年(1614)頃に建てられたと推定されています。
その跡地に建つ船橋御殿跡東照宮は「日本一小さい東照宮」だそうです。
鴻巣御殿跡|鴻巣御殿東照宮は家康公ゆかりの「日本一小さい東照宮」
鴻巣御殿跡は、埼玉県鴻巣市本町4丁目8-26にある鴻巣御殿の跡地です。
鴻巣御殿は徳川家康公によって、鷹狩や領内視察などの宿泊や休憩所として文禄2年(1593)に建てられました。
その跡地に建つ鴻巣御殿東照宮(御成町東照宮)は「日本一小さい東照宮」だそうです。