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【麒麟がくる】第4話『尾張潜入指令』|大河ドラマあらすじと感想

麒麟がくる

令和2年2月9日(日)放送の大河ドラマ『麒麟がくる』第4話、『尾張潜入指令』のあらすじと感想です。

歴史好きとして注目した点や、徳川家康公ファンとして作中の家康公を追っていきたいと思います。

以下、ネタバレもあります。

【麒麟がくる】第4話『尾張潜入指令』あらすじとネタバレ

第4話『尾張潜入指令』の公式あらすじです。

今川との戦いで尾張の信秀(高橋克典)は瀕死の重傷を負う。その知らせを受けた道三(本木雅弘)は、妻の治療を終え今度は尾張へ向かうという東庵(堺 正章)に、天敵・信秀の容態を秘密裏に探るように命じた。その目付け役に任命される光秀(長谷川博己)。菊丸(岡村隆史)もお供に加わり、三人は尾張・古渡城へ潜入。信秀の情報をうまく聞き出すことに成功するが…。

引用元:第四回「尾張潜入指令」 | あらすじ | 『麒麟がくる』

今回、主人公の明智光秀は第1話『光秀、西へ』に続いて美濃国を出ます。

薬草売りに変装して、菊丸と共に兄弟のフリをしながら隣国・尾張国への潜入を果たしました。

一方、双六(すごろく)好きの東庵先生は織田信秀と双六で博打を楽しみつつ、二重スパイであることをあっさりと暴露する東庵先生。

そこに薬草を届けに到着した光秀と菊丸でしたが、怪しむ信秀により待たされます。

そこでついに、松平竹千代——すなわち、後の徳川家康公が現れ、光秀と面識を持つのでした。

東庵先生から信秀の健康状態について情報を受け取り、立ち去る光秀と菊丸でしたが、その後を家臣に追わせる信秀。

ついに包囲される光秀と菊丸でしたが、光秀が囮となり菊丸を逃して戦うものの多勢に無勢、追い詰められた光秀を救ったのは現地の百姓達でした。

逃げる光秀は合流した菊丸に彼らは何者かと問いますが、分かりませんとのこと。

兎にも角にも、無事に美濃に帰還した光秀と菊丸。

光秀はさっそく主君・斎藤道三に信秀の健康状態について報告するのでした。

利三は「鉄砲についての話がある」という常在寺の和尚を招き、光秀に同席させて話を聴きます。

その席にて歴史ファンならピクッと反応してしまうキーワード「本能寺」という言葉も飛び出しますが、道三と光秀にとっての関心事は「室町幕府第14代将軍・足利義輝が鉄砲を大量に必要としている」という情報でした。

歴史好きの感想と注目ポイント

歴史好き、日本史好きとして私が気になったポイントは次の2点です。

なぜ寺のお坊さんが鉄砲に詳しいの?

「仏教・寺・お坊さん(僧侶)」と「鉄砲という最新武器」が今ひとつ繋がらない感じで視聴しておりましたが、Twitterで分かりやすい解説がありました。

なるほど、常在寺・日蓮宗・種子島、そして日蓮宗情報網が背景にあったわけですね。

光秀「あのような難しいものを誰が作っているのでしょうか?」

日本に鉄砲・火縄銃が伝わったのはいつか、諸説ありますが年代は1541年から1544年の間とされているようです。

そして、このように僅か数年で火縄銃を量産化することに成功するとか、当時の日本人おそるべしというところですね。

そしておそらく、今回の大河ドラマ『麒麟がくる』作中では「鉄砲(火縄銃)』が1つのキーアイテムとして描かれていくのでは、と私は予想しています。

第1話で光秀は鉄砲の威力を見せつけられ、魅了され、堺で実物を手に入れました。

その後も、ちょこちょこと鉄砲を試し撃ちしたり練習したりするシーンがあります。

今後、きっと織田信長が今川義元を破る「桶狭間の戦い」にも遭遇するのでしょうし(桶狭間の戦いは信長の奇襲作戦ではなく、実は鉄砲隊と槍隊を組み合わせて真正面から戦いを挑んだという説があります)、信長の家臣となれば鉄砲の出番は山ほどあるでしょう。

今後も、鉄砲には注目したいと思います。

今週の徳川家康公

ついに、我らが徳川家康公が『麒麟がくる』初登場しました。

しかしまだ、作中では幼少の頃であり、名前も松平竹千代を名乗っています。

よく「腹黒」だとか「陰謀家」だとか「狸親父」だとか言われるイメージのある家康公ですが(個人的には大河ドラマ『葵 徳川三代』で津川雅彦さんが演じた感じ)、この頃はまだ幼い子供です。

それもそのはず、今回放送の第4話時点では天文17年(1548年)ですので、天文11年(1543年)生まれの家康公はまだ数え年で僅か7歳だったわけです。

なので、まだ竹千代役(家康役)は風間俊介さんではなく岩田琉聖さんが演じています。

三河の若君・竹千代(のちの家康)は、なぜ尾張の織田家にいるの?

このころ今川義元が絶頂のころで、三河の岡崎城主・松平広忠(竹千代の父)は織田信秀による三河進攻で今川氏へ加勢を乞うも、見返りに竹千代を人質として要求され、6歳になった嫡男・竹千代を駿府に送った。しかし、その途中で田原城の城主・戸田康光の裏切りによって織田側に引き渡されてしまったという。竹千代を手に入れた織田側は再三広忠を脅すが、広忠は今川への従属を貫き要求に応じなかったため、竹千代はそのまま尾張に留め置かれている。

引用元:第四回「尾張潜入指令」 | あらすじ | 『麒麟がくる』

公式ページにはこのように説明されております。

ただし、これには近年、最新の説が唱えられておりますので少しWikipediaからご紹介いたします。

また、近年の研究[注釈 1]では、天文16年9月に岡崎城が織田氏によって攻略されたとする文書(「本成寺文書」『古証文』)の存在が指摘され、松平広忠が織田氏への降伏の証として竹千代を人質に差し出した可能性も浮上している。

注釈1
この説では、松平広忠が叔父・信孝、戸田氏が牧野氏と争った際に今川義元・織田信秀が共に信孝及び牧野氏を支援したことで今川・織田両氏の間に一時的な連携が生じたとする[9]。なお、天文期の今川・織田両氏による三河侵攻については村岡幹生の「織田信秀岡崎攻落考証」(『中京大学文学論叢』1号、2015年)をきっかけに岡崎城が織田氏に攻め落とされたことが新たな有力説になっているが、その際の松平広忠の政治的立場については依然として今川方にあったとする村岡と今川からの離反を図ったために今川・織田両氏による三河侵攻が生じたとみる平野明夫(「家康は、いつ今川氏から完全に自立したのか」平野 編『家康研究の最前線ーここまでわかった「東照神君」の実像』、洋泉社、2017年)や糟谷幸裕(大石泰史 編『今川史年表ー氏親・氏輝・義元・氏真』高志書院、2017年 同書天文15年-永禄3年節)らとの議論がある。

引用元:徳川家康 - Wikipedia

ただ『麒麟がくる』作中では、従来通り「織田信秀に攻められた松平広忠(家康公の父)が、今川義元に助けてもらうために竹千代を人質として差し出すものの、義元の駿府に行く途中で織田方に捕まって尾張に連れて行かれた」説ではなくて、最新の説「織田信秀に岡崎城を攻め落とされたので降伏の証として松平広忠が竹千代を人質といて織田方に差し出した」説を採用しているわけです。

このように「どの説が採用されているか」や「最新の説や研究成果が反映されているか」など、大河ドラマを観る時の楽しみに加えてみるとより一層楽しみが広がるように思います。

次回以降、光秀が京の都へ向かうため、またしばらくは竹千代君(家康公)の出番が無さそうですが家康公ファンとしてじっと待ちたいと思います。

次に家康公の出番があるのは、片岡愛之助さん演じる今川義元が本格的に出てくる頃でしょうか。

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