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徳川家康公ゆかりの温泉|温泉を愛した家康公・温泉と将軍家の熱い関係

徳川家康公ゆかりの温泉(草津温泉) 徳川家康公ってどんな人?

自ら薬草を煎じて飲むなど、健康法にも詳しかった徳川家康公。

今回は、そんな家康公が愛した温泉についてまとめました。

家康公が入浴した温泉や、四代将軍・徳川家綱が始めた「御汲湯おくみゆ」についてもご紹介いたします。

徳川家康公が愛した熱海温泉

先日、NHKにて再放送された『武将温泉 徳川家康編』を観て、家康公と温泉について興味が湧きました。

そこで、今回は番組で紹介された家康公ゆかりの温泉スポットをご紹介しながら、家康公と温泉についての歴史情報をご紹介いたします。

『武将温泉 徳川家康編』では、家康公と温泉について「江戸時代に庶民の間に起こった温泉ブームの火付け役」と紹介されました。

家康公がこよなく愛した温泉は熱海温泉だったとのこと。

そして、熱海温泉は家康公が入湯するまで、あまり知られていなかったそうです。

熱海駅前にある足湯『家康の湯』

熱海駅前には無料の足湯『家康の湯』があります。

『武将温泉 徳川家康編』では、番組冒頭にて俳優の勝村政信さんが東京大学史料編纂所の本郷和人教授と一緒にこの足湯『家康の湯』に浸かりながら、歴史トークをしていました。

この足湯は、家康公の湯浴みから400年を記念して整備されたものであり、家康公ゆかりの地という訳ではないようです。

家康公が入浴した大湯にある間欠泉『大湯間欠泉』

間欠泉とは「一定周期で水蒸気や熱湯を噴出する温泉」のことです。

大湯間欠泉おおゆかんけつせんは、約7分に1回のペースで熱湯の温泉が吹き出します。

ただ、残念ながら昭和初期に枯れてしまったため、現在は人工ポンプで温泉の噴出を再現しています。

かつては、地面が揺れるほど激しく温泉を吹き出していたそうです。

この近くに家康公が宿泊した本陣がありましたので、おそらく当時、家康公もこの大湯間欠泉から温泉が吹き出る光景をご覧になったと思われます。

家康公が宿泊した熱海本陣跡にある『日航亭 大湯』

『日航亭 大湯』は日帰り温泉施設として営業中の温泉であり、かつて家康公が宿泊した熱海本陣跡に建っているそうです。

『武将温泉 徳川家康編』番組内では、本郷教授から「徳川家康ゆかりのお風呂」として紹介されました。

熱海本陣を営んでいた今井家の宿帳に「主従八名」とだけ記載されているのが、家康公が最初に訪れた際の宿泊記録だそうです。

これは、慶長5年(1600年)に行われた「関ヶ原の戦い」の3年前に、家康公らが泊まった際の記録だそうです。

安全面の都合から、身分を隠して宿泊したため「主従八名」と記載したのだとか。

のちに慶長9年(1604年)3月、天下人となった家康公は九男・徳川義直(のち尾張徳川家始祖)と十男・徳川頼宣(のち紀州徳川家始祖)を連れて、ここ大湯にて7日間に及ぶ湯治を行いました。

家康が愛でた熱海の湯

慶長9年(1604)3月、徳川家康は息子の義直(後の初代尾張藩主)と頼宣(後の初代紀伊藩主)を連れて熱海を訪れ、今井半太夫の本陣で「一廻り」(7日間)の湯治を行いました。糸川に架かる「御成橋」(バス停「本町商店街」の所)の名はこの家康の入浴に由来するといわれています。
連歌師も従えて訪れていた家康は、この地で「春の夜の夢さへ波の枕かな」という句を詠んでいます。また、浜で漁を見物したり、伊豆山権現(伊豆山神社)にも参詣したりしました。
彼は熱海の湯が大変気に入り、この年の7月には伏見城に居て、参勤に来た周防(山口県東部)の吉川広家(年老いて多病でした)のために熱海から湯5桶を取り寄せ、与えています。

引用元:熱海市[2020]『広報あたみNo.757』P.14「あたみ歴史こぼれ話 第十一話 家康が愛でた熱海の湯」

この時に家康公は独吟による百韻連歌を詠んだという記録が残されていますが、詳しくは以下の関連記事をご覧ください。

徳川家康公の和歌一覧|家康公はどんな和歌を詠んだのか?
今回は、徳川家康公が詠んだ和歌を特集します。 和歌は奈良時代末期に成立した『万葉集』など、日本における伝統芸能でも特に古い歴史を持ちます。 そんな和歌は詠み手の人間性や価値観、経緯や背景、理想や信念が滲にじみ出るものではないでしょうか。 家康公が詠んだ和歌から、家康公の人柄に迫ってみたいと思います。

『日航亭 大湯』に入浴した本郷教授曰く、その泉質は「臭いは全くなく、さらさらとしたお湯」だそうです。

  • 泉質:塩化物泉
  • 源泉の温度:約90度以上
  • 色:無色透明

引用元:NHK『武将温泉 徳川家康編』

徳川家綱が始めた『御汲湯』を今に伝える『湯前神社』

湯前神社ゆぜんじんじゃでは『御汲湯おくみゆ』を再現したお祭りとして、秋季例大祭『熱海湯まつり』を開催しています。

この湯前神社は平安時代創建の古社であり、鎌倉時代には源頼朝が伊豆山権現・箱根権現の二所詣を始めたことで「湯治の神」として信仰されるようになりました。

源頼朝ファンだった家康公ならば、すぐ近くにある熱海本陣に宿泊の際に参拝していたかもしれませんね。

『武将温泉 徳川家康編』番組内では『熱海湯まつり』の様子や、そこで使用されたレプリカの桶などが紹介されました。

『御汲湯』とは、徳川幕府から指定された温泉宿の主人達が、羽織袴を着て口を白い布で覆った姿で、熱海の温泉を檜の桶に汲み、その桶を熱海から約100km離れた江戸城まで15時間かけて人力で運ぶという事業です。

熱海を出発する際は約90℃あったお湯が、江戸城に着く頃にはちょうど良い湯加減になったそうです。

この『御汲湯』は、四代将軍・徳川家綱が始めました。

家綱は幼少の頃から病気がちだったため、温泉の健康効果に注目して年に数回、熱海の温泉から江戸城までお湯を運ばせました。

いわば「温泉宅配」事業という感じのことを、熱海と江戸城の距離で行なっていたとは、さすが徳川幕府ですね。

定期的に塩化物泉に入浴することで免疫効果の向上が期待できるとのことで、この『御汲湯』のおかげで、病弱だった家綱は当時の平均寿命だった40歳を超えて生きることができたと番組内で紹介されました。

また、家綱は「明暦の大火」にて消失した江戸城天守閣の復興を諦め、その予算を江戸市中の復興に当てたというエピソードも紹介されました。

歴代将軍の健康法として、まず家康公は麦飯や味噌を中心とした粗食で、鷹狩りや剣術で身体を鍛え、自ら漢方薬を調合していたという健康オタクっぷり。

五代将軍・徳川綱吉は鍼師を召し抱えて、暇さえあれば鍼や按摩の施術を受けていました。

八代将軍・徳川吉宗は家康公に倣い、粗食の徹底や武芸の稽古をしていたそうです。

松平健さんが演じた「暴れん坊将軍」で有名な吉宗ですが、健康法として積極的に『御汲湯』を取り入れており、何と8年間で3,643樽分ものお湯を熱海から運ばせたとのことです。

ほぼ毎日、江戸城で熱海の温泉に入浴していた計算になりますが、そのお陰か吉宗は当時の平均寿命40歳を大きく上回る68歳まで生きました。

勝村政信さんと本郷和人教授が入浴した『スパリウムニシキ』

『武将温泉 徳川家康編』番組の最後は、勝村政信さんと本郷和人教授がホテルニューアカオ内の温泉『スパリウムニシキ』に入浴しながら、旅を振り返るというシーンで幕を閉じました。

徳川家康公が愛した温泉は熱海だけなのか?

『武将温泉 徳川家康編』番組内では、熱海の温泉のみが「家康の愛した温泉」や「家康ゆかりの温泉」として紹介されました。

しかし、Twitterに興味深い情報がありました。

なるほど、確かにご指摘の通りですね。

そこで、番組内では触れられなかった熱海以外の「家康公ゆかりの温泉」や「徳川将軍家ゆかりの温泉」をご紹介したいと思います。

三代将軍・徳川家光の病を癒した献上の湯『伊東温泉 和田寿老人の湯』(静岡県伊東市)

『和田寿老人の湯』は、JR伊東線・伊東駅から徒歩圏内にあります。

『和田寿老人の湯』の前身である『和田湯』は慶長3年(1598年)に、伊東の地主だった下田氏が湯小屋を設けたのが始まりだそうです。

江戸時代には温泉のお湯を船で江戸城まで運び、病気がちだった三代将軍・徳川家光への献上湯を行い、見事回復させたという実績があります。

  • 泉質 単純温泉(低張性・弱アルカリ性・高温泉)
  • 源泉の温度 44.1℃
  • 効能 リウマチ、神経痛、運動器障害、疲労回復に強い効能

引用元:伊東温泉七福神の湯めぐり③徳川家献上の湯!和田寿老人の湯 | 道の駅伊東マリンタウン

徳川家康公が江戸城まで運ばせた温泉『草津温泉 将軍御汲上の湯枠』(群馬県吾妻郡)

関東屈指の名湯・草津温泉も、家康公ゆかりの温泉です。

慶長元年(1596年)、家康公は豊臣秀吉の勧めで草津温泉のお湯を江戸城まで運ばせて入浴したということが、近年の文献研究によって明らかになりました。

他にも、秀吉の養子・豊臣秀次や、秀吉の実妹であり家康公の継室となった朝日姫、加賀百万石の礎を築いた前田利家などが、ここ草津温泉で入浴しました。

前出の通り、八代将軍・徳川吉宗は健康法として熱海温泉のお湯を江戸城まで運ばせて入浴していましたが、何とここ草津温泉のお湯も江戸城に運ばせて入浴していたそうです。

草津温泉の有名な「湯畑」には、吉宗が汲み上げさせた際の物と伝わる湯枠が現存しています。

下の写真右側に写っている木枠が吉宗の湯枠です(見切れていて申し訳ありません)。

草津温泉『将軍御汲上の湯枠』

草津温泉案内看板『名勝「湯畑」』

泉質酸性泉、硫黄泉(硫化水素型)、含アルミニウム泉、硫酸塩泉
適応症【泉質別適応症】アトピー性皮膚炎、尋常性乾癬、耐糖能異常(糖尿病)、表皮化膿症、
【一般的適応症】筋肉若しくは関節の慢性的な痛み又はこわばり(関節リウマチ、変形性関 節症、腰痛症、神経痛、五十肩、打撲、捻挫などの慢性期)、運動麻痺における筋肉のこわばり、冷え性、末梢循環障害、胃腸機能の低下(胃がもたれる、腸にガスがたまるなど)、軽症高血圧、耐糖能異常(糖尿病)、軽い高コレステロール血症、軽い喘息又は肺気腫、痔の痛み、自律神経不安定症、ストレスによる諸症状(睡眠障害、うつ状態など)、病後回復期、疲労回復、健康増進
禁忌症【泉質別禁忌症】皮膚又は粘膜の過敏な人、高齢者の皮膚乾燥症、
【一般的禁忌症】病気の活動期(特に熱のあるとき)、活動性の結核、進行した悪性腫瘍又は高度の貧血など身体衰弱の著しい場合、少し動くと息苦しくなるような重い心臓又は肺の病気、むくみのあるような重い、腎臓の病気、消化管出血、目に見える出血があるとき、慢性の病気の急性増悪期

引用元:温泉地詳細[草津温泉] | 日本温泉協会

武田信玄の隠し湯・徳川家康公の秘湯『梅ヶ島温泉 湯の宿いちかわ』(静岡県静岡市)

静岡県静岡市葵区にある梅ヶ島温泉の旅館『湯の宿いちかわ』は、徳川家康公の秘湯であり、また「三方ヶ原の戦い」で家康公を討ち死に寸前まで追い詰めた武田信玄の隠し湯としても知られています。

また、家康公は駿府での大御所政治時代、駿府城下に金座を設けて慶長小判・大判を鋳造させましたが、梅ヶ島の金山から大量に採掘された金が使用されました。

梅ヶ島温泉の歴史は古く、大正2年(1913年)に編集された『安倍郡梅ヶ島村誌』によると、第15代天皇・応神天皇の時代(4世紀後半〜5世紀初頭頃か?)には、既に温泉地として知られていたそうです。

徳川家康公の隠し湯・世界最古の旅館『西山温泉 慶雲館』(山梨県南巨摩郡)

世界最古の旅館としてギネスブックに認定されている慶雲館の歴史は古く、飛鳥時代の慶雲2年(705年)、中臣鎌足(藤原鎌足)の長男・藤原真人が開湯したことにより始まりました。

戦国時代には武田信玄や穴山梅雪が訪れ、そして家康公も2回入浴したと伝わっています。

世界最古の旅館であり、家康公と信玄が入浴した源泉が現存していて同じお湯に入浴できるという、家康公ファンにとってまさに最強の温泉スポットだと言えそうです。

天文年間には甲斐国主 武田信玄公が、天正年間には武田二十四将のひとり、穴山梅雪が幾度か湯を求めに訪れ、当館の守護神湯王大権現に「銅羅」を奉納されています。これは家宝として代々慶雲館の当主に受け継がれております。
また、日本統一のさなか、徳川家康公も二度にわたり入湯されたと伝えられております。このように多くの名将、文人、都人に愛されてきました慶雲館の湯は、今も涸れることなく湧き続けております。

引用元:慶雲館について | 全館源泉掛け流し 西山温泉 慶雲館

おまけ:織田信長が徳川家康公をもてなした饗応御膳の再現『鬼岩温泉 了山』(岐阜県御嵩町)

「家康公ゆかりの温泉」というテーマからは少々外れますが、織田信長が家康公に振る舞った饗応御膳を再現した『饗応膳』を、実際に食べられる温泉宿が『鬼岩温泉 了山』です。

家康公と織田信長の同盟により武田勝頼を滅ぼした「甲州征伐」後、家康公は信長の居城・安土城に招かれて饗応を受けます。

この時、家康公一行を接待する総責任者を信長から命じられていたのが、令和2年(2020年)放送の大河ドラマ『麒麟がくる』の主人公として描かれた明智光秀でした。

教養人でもあった光秀が、家康公一行をもてなすために用意させた饗応御膳ですが、何と当時の史料を基に再現した御膳『饗応膳』を食べられるとは、歴史ロマン溢れるお宿ですね。

鬼岩温泉 了山が、戦国時代の豪華おもてなし御膳「饗応膳」を再現しました!

饗応膳(きょうおうぜん)とは…
饗応膳は、1582年(天正10年)5月、安土城で徳川家康をもてなすために織田信長が明智光秀に饗応(もてなし)役を命じて作らせたとされています。光秀は贅を尽くした料理を考えたものの、信長の怒りを買い途中で饗応役の任を解かれることとなります。このことが後の本能寺の変の一因とも言われています。

了山では、NHK大河ドラマ「麒麟がくる」のゆかりを巡る来訪者へのおもてなしとして、饗応膳を現代人に合うように味をアレンジして再現し、「鬼退治伝説 明智光秀 山城料理 ~天正十五年 徳川家康 饗応膳」として提供しています。全国各地から食材を取り寄せ、”鯛の焼き物”、”鮑(あわび)貝盛”、”鱧(はも)落し 梅たれ”、”鶏西京焼き”など全19品の、見て楽しい、食べて美味しい料理となっています。戦国時代に思いを馳せながら、武将になった気分で味わってみてはいかがでしょうか。

引用元:「鬼岩温泉 了山」 鬼退治伝説 明智光秀 山城料理 ~天正十五年 徳川家康 饗応膳(きょうおうぜん)~ - 岐阜県御嵩町|ふるさとチョイス - ふるさと納税サイト

公式Webサイトには詳細な説明ページが見つからなかったので、ふるさと納税の返礼品を紹介するWebサイトから上記引用をしていますが、引用元のWebページには『饗応膳』の写真も掲載されていますので、興味のある方はぜひご覧になってみてください。

徳川家康公ゆかりの温泉まとめ

【家康公ゆかりの温泉スポット】

群馬県吾妻郡

  • 草津温泉

静岡県熱海市

  • 大湯間欠泉(大湯間歇泉)
  • 日光亭 大湯
  • 湯前神社

静岡県静岡市

  • 湯の宿いちかわ

山梨県南巨摩郡

  • 慶雲館

【徳川将軍家ゆかりの温泉スポット】

静岡県伊東市

  • 和田寿老人の湯(和田湯会館)

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