七井の池とは、徳川家康公ゆかりの水源にして、都心を流れる神田川の起点でもある、井の頭恩賜公園にある井の頭池の事です。
園内にて隣接する「お茶の水」の湧水が流れ込み、そして同じく園内にある神田川の源流に繋がっています。
JR中央線・総武線や京王井の頭線「吉祥寺駅」下車徒歩5分という場所にありますので、気軽に訪れる事ができます。
はじめに
徳川家康公による江戸の都市開発において「飲み水の確保」は急務でした。
しかし、当時の江戸周辺では飲み水に適した良質な水質の水を確保する事が出来ませんでした。
そこで、家康公は江戸近郊で水源を探し、そこから水を江戸市中まで引き込んでくる事で、人々の飲み水を確保する事に成功しました。
今回訪れた「七井の池」もその水源の1つであり、家康公が自ら訪れてお墨付きを与えた由緒ある水源であります。
七井の池はその後、井の頭池と呼ばれるようになりました。
今日、七井の池は井の頭恩賜公園に「井の頭池」として残されております。
この辺りの話は小説『家康、江戸を建てる』の第三話「飲み水を引く」にも登場しています。
この日の家康は、よほど感銘がふかかったのだろう。
のちに実子秀忠を第二代将軍としたときには、
「七井の池へ行け」
としきりに勧めたものだったし(そうして秀忠は実際に行った)、さらには家康自身、晩年にいたり、ふたたびこの池をおとずれた。いずれの際にも六次郎が召し出され、茶を命じられたことは当然だったろう。七井の池は、江戸開闢の名所となった。
少しあとに名が変わった。人々がいつしか、
――井の頭。
と呼ぶようになっていたのだ。
井の頭とは、水源というほどの意味だろう。引用元:門井慶喜[2016]『家康、江戸を建てる』祥伝社
第三話 飲み水を引く(P.189~P.190)
また『家康、江戸を建てる』においては「七井の池を最初に見つけたのは源頼朝公」だとか「日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が東国征伐のおりに竜神にいのりを捧げて水を得たという伝説」などといった逸話が、六次郎から家康公に対して語られております。
お茶の水
七井の池(井の頭池)の水源であり、ここから湧き出る水がすぐ隣に広がる七井の池に流れ込んでいます。
ただし、現在は天然の湧水ではなく、地下水をポンプで組み上げているとの事。
お茶の水
井の頭池は豊富な湧き水に恵まれ、かつては三宝寺池、善福寺池とともに「武蔵野三大湧水池」と呼ばれていました。
徳川家康がこの池の湧水を関東随一の名水とほめてお茶をいれたという伝説から「お茶の水」という名が付いたともいわれています。
現在では湧水減少のため、地下水をポンプでくみあげています。引用元:井の頭恩賜公園・お茶の水前案内板
なお、東京都内を流れる川について書かれた文献を調べた所、偶然にも私の在籍する法政大学の教授が書かれた文献を見つけました。
上流域の都市化と水害対策
家康が好んだ湧き水
賑やかな吉祥寺駅を南に出て、徒歩わずか5分のところに緑豊かな井の頭恩賜公園がある。その中にある大きな池、井の頭池の北西端に「お茶の水」と呼ばれる神田川の源泉がある。徳川家康がこの湧き水を好んでお茶を点てたと伝えられている。かつては池の中の7ヶ所から水が湧いていたと言われているが、都市化の影響により湧水量が減り、現在はここだけで地下水をポンプアップして湧水を再現している。この水の守護神として家康公が崇敬したのが、池の中に祀られている弁財天である。もともとは関東源氏の祖、源経基が天慶年間(938〜946年)に弁財天女像を安置したのが起源とされ、その後源頼朝が戦勝を祈願して、1197(建久8)年に社を建立したという。引用元:陣内秀信+法政大学陣内研究室[2013]『水の都市 江戸・東京』講談社
第1章 都心部――神田川(P.108)
非常に端的に、この「お茶の水」の由緒を説明して下さっており参考になります。
また神田川の中流以降や他の河川についても、写真や地図を交えながら特色が分かりやすく説明されておりますので、興味のある方はぜひご一読下さい。
七井の池(井の頭池)
ちょうど最近、かいぼりを行った事で水草が復活したそうで、SNSで「クロード・モネの睡蓮」を彷彿とさせる美麗写真が出回っておりました。
そこで無謀にも撮影を試みましたが……ポンコツカメラマンらしく、撮影したままの無修正写真を掲載いたします。
井の頭池
井の頭池は神田川の水源で、江戸時代は神田上水として江戸の人々の飲み水でした。
かつて湧水口が7箇所もあったことから七井の池とも呼ばれていました。
池の中央の七井橋の名はこれに由来します。引用元:井の頭恩賜公園・入口案内板
神田川の源流
よもや都内を流れる一級河川の源流を、こんな手軽に見られるとは意外でした。
井の頭池から東へ流れる神田川
(中略)上流は井の頭池から大滝橋までで、自然河川の「神田上水」である。武蔵野台地の低地を蛇行しながら流れ、江戸時代は水量も豊富な清流だった。その頃は、この川の水を灌漑用水として使って稲作を行う水田地帯だった。
引用元:陣内秀信+法政大学陣内研究室[2013]『水の都市 江戸・東京』講談社
第1章 都心部――神田川(P.106)
しかし、この源流付近は非常に僅かな水量が流れる小さな水路程度の規模であり、とても一級河川の源流とは思えないような様子でした。
余談ですが、井の頭恩賜公園「お茶の水」より湧き出でた水は「七井の池」(井の頭池)を経由して神田川の源流を通過し、他の河川と合流しながらJR総武線・中央線の飯田橋駅付近で江戸城外濠と合流して、隅田川に合流しています。
さいごに
今回訪れた七井の池やお茶の水は、立派な寺社仏閣でもなければ城郭でもなく、銅像や石碑でもありません。
あえて言ってしまえば、大きな公園にある「ただの池と湧水口」です。
しかし、そこを訪れる前に文献調査などを行って「予習」するだけで、全く違う見え方になるのだと感じました。
今回は文献調査などという大げさなものではなく、事前に「書籍を1~2冊程度読んだ」程度のものでしたが、それでも「ただの池と湧水口」に家康公の面影を見つけ、歴史のロマンを感じるには十分でした。
こうした切り口の観光をしてみるのも一興ですので、ご興味のある方はぜひお試しあれ。
案内情報
名称:七井の池(井の頭池)・お茶の水
住所:東京都三鷹市井の頭4丁目1 井の頭恩賜公園・井の頭池
交通:JR中央線、総武線、京王井の頭線「吉祥寺駅」徒歩5分