今回は徳川家康公が江戸と京都を往来する際に宿泊した、中原御殿の跡地を訪れました。
中原御殿は、平塚から江戸城虎ノ門を繋ぐ中原街道筋に建てられた御殿です。
現在、中原御殿の跡地には石碑『相州中原御殿之碑』が建立されているのみですが、中原御殿の裏門が近隣にある善徳寺の三門として移築されて現存しています。
今回は、その現存する裏門も見に行きました。
中原御殿跡
中原御殿とは、徳川家康公の命により、江戸と駿府や上方(京都・大阪)間の往復や鷹狩の際の宿舎として中原街道の中原宿に建てられました。
中原御殿が建てられた時期については、史跡の案内看板だと慶長元年(1596年)とするものの諸説ありとし、Wikipediaでは文禄5年(西暦では同じ1596年ですが)説が唱えられているなど、明確な特定はできていないようです。
経路
中原御殿跡は、JR東海道線「平塚駅」から神奈川中央バスのバス停「中原御殿」下車徒歩2分程度で到着します。
「中原御殿」バス停で下車して、交番のある丁字路を右折します。
なお、このバス停のある道路が中原街道なのですが、その丁字路には史跡『中原宿高札場跡』もありますので、行きがけにぜひチェックしてみてください。
交番のある丁字路を右折して、住宅街の中を突き当たりまで進みます。
突き当たりの丁字路が、目的地の中原御殿跡です。
現在は記念碑『相州中原御殿之碑』と2枚の案内看板があるのみです。
相州中原御殿之碑
現在、中原御殿跡は平塚市立中原小学校の一角に記念碑『相州中原御殿之碑』が建つのみとなっており、その遺構は地中に残るのみとなっております。
この記念碑『相州中原御殿之碑』の題額は、水戸徳川家第12代当主・徳川篤敬の次男にして第15代将軍・徳川慶喜の大叔父である徳川宗敬によるものです。
記念碑には、中原御殿は別名『雲雀野御殿』とも呼ばれていたことや、文禄元年(1593年)に家康公が名護屋の陣へ赴く際に宿泊したことが始まりであること、明暦3年(1657年)に引き払われたことが記されています。
案内看板によると、中原御殿は東西78間(約141m)×南北56間(約101m)と、中原小学校以上に広大な敷地を有し、さらに幅6間(約10m)の堀が巡らされていたとのことです。
非常に広大な規模であったことが伺えます。
もう1枚の案内看板には、中原御殿跡の遺構調査について説明されています。
中原御殿跡付近にある善徳寺の三門が、中原御殿の裏門を移築したものである説の紹介もされています(ただし、この案内看板には「はっきりしません」との表記あり)。
記念碑『相州中原御殿之碑』から北に進んで丁字路を左折すると、中原小学校の北側を通る道路があります。
ここが中原御殿における北側の面とほぼ重なるようですが、残念ながら御殿の痕跡は残っていません。
寄り道:中原宿高札場跡
神奈川中央バス「中原御殿」バス停下車すぐの丁字路に、史跡『中原宿高札場跡』があります。
中原街道と、街道から中原御殿に続く大手道との交差点に位置しています。
江戸時代には、この場所に幕府により定められた禁令の書かれた木札が掲げられていました。
中原御殿を調べると必ずお目にかかる絵図『中原御宮記』(長谷川雪提)にも、中原宿高札場が描かれています。
中原御殿跡に向かう際は、ぜひ立ち寄ってみてください。
浄土宗南原山永琳院善徳寺
今日、中原御殿の遺構として唯一現存すると伝えられているのが、中原御殿の裏門です。
中原御殿の裏門は現在、浄土宗南原山永琳院善徳寺の三門に移築されています。
中原御殿跡から徒歩約8分程度で行けますので、ぜひ寄り道して三門も見学してみることをオススメします。
経路
中原御殿跡『相州中原御殿之碑』に向かって左側に進み、丁字路を右折して中原小学校の南端に沿ってひたすら直進すると、善徳寺に着きます。
広い墓地が見えてきますので、もう少し進むと山門があります。
三門(現存する中原御殿の裏門)
こちらが、中原御殿で唯一現存する裏門の移築と伝えられている、善徳寺の三門です。
山門の前には石橋が架けられており、雰囲気があります。
松の枝も良い雰囲気を醸し出しています。
山門の左側には、案内看板が設置されています。
文中の「雲雀野御殿」とは、前述の通り中原御殿の別名です。
茅葺き屋根の山門は、いかにもな風格のある佇まいです。
門の下から観ると、また迫力があります。
三門の扁額には「南原山」と記されています。
三門両脇の塀には「葵の御紋」の瓦があります。
本堂
こちらが、善徳寺の本堂です。
実は、この善徳寺本堂の隅木(屋根の隅に伸びている柱)には、家康公ファンに嬉しい意匠が施されています。
隅木にも「葵の御紋」がありますので、参拝の際はぜひ見落とさないように注意してください。
上の写真は、本堂右側の隅木です。
下の写真は、本堂左側の隅木です。
個人的には、左側の隅木の方がより風情ある情景で楽しめました。
また、山門両脇の瓦と本堂の隅木以外にも、もう1か所「葵の御紋」があります。
本堂の屋根の一番上にある棟紋にも、堂々と「葵の御紋」が輝いています。
ぜひ、善徳寺を参拝する際は「葵の御紋」にも注目してみてください。
臨済宗建長寺派豊年山清雲寺(お茶屋寺)
中原御殿跡と善徳寺からは少し離れていますが、バス1本で行ける場所に「お茶屋寺」と呼ばれる家康公ゆかりの寺があります。
それが、この臨済宗建長寺派豊年山清雲寺です。
経路
神奈川中央バスのバス停「中原御殿」から伊勢原駅方面のバスに乗り、バス停「豊田本郷駅」下車徒歩約5分で着きます。
バス停「豊田本郷駅」で下車して、バスの進行方向側に少し進むと交差点「豊田本郷」があります。
その交差点にある牛丼チェーン店「すき家」の裏側にある道路をひたすら直進すると、清雲寺に着きます。
山門
清雲寺の山門には、家康公ゆかりの通称「おちゃやてら」の石碑が建てられています。
記念碑によると、家康公が鷹狩りの際に清雲寺でお茶を飲んで以来、しばしば立ち寄ってお茶を飲んだことから「お茶屋寺」と呼ばれるようになったそうです。
また、記念碑によると家康公は清雲寺に「所用の稚器三点を寄進した」とのことで、葵の御紋が描かれた銚子などが今日まで大切に保存されています。
清雲寺の山門は個人的に好きなタイプの山門と参道です。
山門前には石造りの金剛力士像が安置されています。
清雲寺山門の扁額です。
山門の裏側には『清雲寺御詠歌』なるものが飾られています。
「ゆらいある お茶のちそうの 清雲寺」とありますが、この一文は家康公が度々立ち寄り喫茶したことに由来しているのでしょう。
境内・本堂
境内はこじんまりとした規模ながら、竹林も相まって雰囲気の良い空間となっています。
こちらが清雲寺の本堂です。
落ち着いた様子の本堂です。
こちらが本堂の扁額です。
残念ながら家康公のご寄進された品々は一般公開されていないので(大切に保管されているのだから仕方ないですが)、家康公に関連するものとして見学できたのは入り口の記念碑のみでした。
しかし、神社仏閣巡りとしても楽しめる素敵なお寺でしたので、中原御殿跡を見学する際はぜひもう一歩足を伸ばして参拝してみてはいかがでしょうか。
【関連記事】中原街道筋の史跡


案内情報
相州中原御殿之碑(中原御殿跡)
- 名称:相州中原御殿之碑(中原御殿跡)
- 住所:神奈川県平塚市御殿2丁目7-9
- 交通:神奈川中央バス「中原御殿」下車徒歩2分
中原宿高札場跡
- 名称:中原宿高札場跡
- 住所:神奈川県平塚市中原2丁目18-17
- 交通:神奈川中央バス「中原御殿」下車徒歩0分
浄土宗南原山永琳院善徳寺
- 名称:浄土宗南原山永琳院善徳寺
- 住所:神奈川県平塚市南原3丁目2-7
- 交通:神奈川中央バス「中原御殿」下車徒歩10分
臨済宗建長寺派豊年山清雲寺(お茶屋寺)
- 名称:浄土宗南原山永琳院善徳寺
- 住所:神奈川県平塚市豊田本郷1760
- 交通:神奈川中央バス「豊田本郷駅」下車徒歩5分