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南光坊天海

徳川家康公ってどんな人?

東照宮御遺訓は後世の創作だった!?|本当の徳川家康公御遺言とは?

今日、徳川家康公の御遺言として伝わるものに『東照宮御遺訓』があります。 これは「人の一生は重荷を負て遠き道を行くがごとし。急ぐべからず……」という出だしで有名ですね。 ですが、実は後世の創作だとする説があるのをご存知ですか? 今回は『東照宮御遺訓』と「家康公が遺した本当の御遺言」について、まとめました。 「日光東照宮や久能山東照宮、他には上野東照宮などでも境内に掲示されている『東照宮御遺訓』が偽物の訳ないだろう」とお思いの方も、ぜひ最後までご覧になってみてください。
家康公ゆかりの地:関東編

世良田山長楽寺(群馬県太田市)|家康公が庇護した徳川家と東国の禅文化発祥の地

前回の記事では、徳川家発祥の地とされる場所にある世良田東照宮をご紹介しました。 今回は、その世良田東照宮を境内に建てた長楽寺をご紹介します。 長楽寺は、徳川家康公の側近の1人・南光坊天海が住職を務めた事もありました。 元々は臨済宗の寺として承久3年(1221)に、新田義重の四男・新田義季(後世、家康公が源氏の末裔を名乗る際に徳川家の開祖とされた)が、臨済宗の開祖である栄西の高弟・栄朝を招いて開基しました。 そのため、長楽寺は東国における禅文化発祥の寺であり、常時500人もの学僧が研学修行に励んでいたと言われています。
家康公ゆかりの地:関東編

世良田東照宮(群馬県太田市)|最初の日光東照宮社殿が現存する徳川家発祥の地

金ピカの豪華絢爛な社殿で有名な日光東照宮ですが、実は最初から今の社殿ではありませんでした。 2代将軍・徳川秀忠が家康公を祀るために建てた最初の日光東照宮は、家康公の遺言により質素な社殿でした。 その後、3代将軍・徳川家光が今の金ピカ日光東照宮に建て替えたのですが、その時に最初の社殿は移築されました。 今回は、その日光東照宮の最初の社殿が現存する、世良田東照宮をご紹介いたします。
家康公ゆかりの地:京都編

方広寺鐘楼(京都東山)|徳川家康公を呪う「国家安康・君臣豊楽」の梵鐘

お寺の鐘に刻まれた「国家安康」「君臣豊楽」の言葉が時の天下人・徳川家康公を激怒させ、大坂の陣は起こり豊臣家が滅亡した―― 学生時代、歴史を動かしたこの碑文を、日本史の教科書や資料集で見た人も多いのではないでしょうか。 今回は、京都・東山の方広寺を訪れ、ついにこの歴史的梵鐘を見ることができました。
家康公ゆかりの地:関東編

上野東照宮|徳川家康公を祀る黄金の東照宮(夜間ライトアップも)

上野東照宮は寛永4年(1627年)に藤堂高虎が、当時上野にあった自身の敷地内に創建したのが発祥です。 その後、慶安4年(1651年)に家康公の孫である三代将軍・徳川家光が改築したものが、現在まで残る社殿となっております。 近年は、期間限定で夜間ライトアップも行われております。
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