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家康公ゆかりの地:浜松編

家康公ゆかりの地:浜松編 家康公ゆかりの地:浜松編

静岡県浜松(かつての遠江国浜松)にある、徳川家康公ゆかりの史跡や神社仏閣などを中心にご紹介します。

↓JR浜松駅周辺の徳川家康公ゆかりの地めぐり・1日で観光する日帰り旅モデルコース↓

徳川家康公ゆかりの地めぐり「浜松編」1日で観光する日帰り旅モデルコース
徳川家康公は元亀元年(1570年)に三河国・岡崎から本拠地を移して以降、天正14年(1586年)に本拠地を駿河国・駿府に移すまでの17年間、遠江国・浜松を本拠地としていました。 今回は、そんな浜松の家康公ゆかりの地を巡るツアープラン・モデルコースをご紹介いたします。

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家康公ゆかりの地:浜松編

徳川家康公ゆかりの地めぐり「浜松編」1日で観光する日帰り旅モデルコース

徳川家康公は元亀元年(1570年)に三河国・岡崎から本拠地を移して以降、天正14年(1586年)に本拠地を駿河国・駿府に移すまでの17年間、遠江国・浜松を本拠地としていました。 今回は、そんな浜松の家康公ゆかりの地を巡るツアープラン・モデルコースをご紹介いたします。
家康公ゆかりの地:浜松編

三方ヶ原古戦場(静岡県浜松市)|徳川家康公の生涯唯一の惨敗「三方ヶ原の戦い」

三方ヶ原古戦場は、若き日の徳川家康公が軍神・武田信玄に真正面から野戦合戦を仕掛け、生涯唯一の惨敗を喫した「三方ヶ原の戦い」が行われた古戦場跡です。 元亀3年(1572)12月22日、家康公の居城・浜松城の北に広がる三方ヶ原台地にて、徳川・武田両軍が激突しました。 この敗北が、後の家康公を作り上げていく大きなターニングポイントとなりました。
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太刀洗の池跡(静岡県浜松市)|家康公正室・築山殿(瀬名姫)を斬首した刀を洗った池

太刀洗の池跡は、徳川家康公の正室・築山殿(瀬名姫)を斬首した刀を、池の水で洗ったと伝わる跡地です。 織田信長による「信康切腹事件」の際に、築山殿は徳川家家臣の岡本時仲と野中重政に自害を迫られますが、これを拒みました。 結果、築山殿は重政に斬首され、享年38歳でこの世を去りました。 その折、重正は刀に付いた血をこの地にあった池の水で洗い流したため、大刀洗の池と呼ばれるようになったそうです。
家康公ゆかりの地:浜松編

西来院(静岡県浜松市)|徳川家康公の妻・築山殿(瀬名姫)の墓所

西来院は、静岡県浜松市にある曹洞宗のお寺です。 西来院には徳川家康公の正室・築山殿(瀬名姫)の霊廟「月窟廟」があります。 築山殿は近年だと、大河ドラマ『おんな城主直虎』にて菜々緒さんが演じて話題になりました。
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広沢山普済寺(静岡県浜松市)|「三方ヶ原の戦い」で家康公が焼いた寺

広沢山普済寺は、静岡県浜松市にある曹洞宗のお寺です。 「三方ヶ原の戦い」で武田信玄に敗れた徳川家康公は、命からがら浜松城に逃げ帰りました。 その晩、家康公は普済寺を焼いて「浜松城が燃えている」と武田勢に思わせ、油断させました。 その直後、犀ヶ崖付近で夜営していた武田勢に対して、大久保忠世らが率いる徳川勢が夜襲をしかけます。 結果、武田勢に痛手を負わせることに成功し、家康公は信玄に一矢報いました。
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犀ヶ崖古戦場(静岡県浜松市)|徳川家康公が武田信玄に一矢報いた合戦

犀ヶ崖古戦場は静岡県浜松市にある、古戦場です。 徳川家康公が武田信玄に野戦を挑むも惨敗し、浜松城まで逃げ帰った「三方ヶ原の戦い」。 その敗走の晩に、徳川勢が武田勢の夜営地を夜襲しました。 今でも、その急峻な崖に古戦場としての趣を感じることができます。
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浜松城(静岡県浜松市)|徳川家康公が17年間過ごした「出世城」

浜松城は静岡県浜松市にある城跡です。 元亀元年(1570年)、徳川家康公は岡崎城から本拠地を移して以降、天正14年(1586年)に本拠地を駿府城に移すまでの17年間に渡り、この浜松城を本拠地としていました。 今回は合計117枚に及ぶ写真を余すことなく掲載して、浜松城の魅力を大特集いたします。
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元城町東照宮(静岡県浜松市)|徳川家康公と豊臣秀吉の銅像が並ぶ神社

元城町東照宮(もとしろちょうとうしょうぐう)は、静岡県浜松市にある神社です。 戦国時代に引間城(曳馬城)があった地に、明治19年(1886年)に建立されました。 かつて、浜松城を本拠地とした徳川家康公を祀っています。
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椿姫観音(静岡県浜松市)|徳川家康公と一戦交えて討ち死にした女性

椿姫観音(つばきひめかんのん)は静岡県浜松市にある御堂です。 引間城(後の浜松城)城主・飯尾連竜の死後、その妻・お田鶴の方は城を守るために徳川家康公と一戦交え、そして討ち死にしました。 椿姫観音は、そのお田鶴の方を祀る御堂です。
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