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井伊直政

家康公ゆかりの地:その他

長久手古戦場跡(愛知県長久手市)|徳川家康公が秀吉に勝利した「小牧・長久手の戦い」の局地戦が行われた地

徳川家康公が羽柴秀吉と直接対決した合戦「小牧・長久手の戦い」。互いににらみ合いを続けているうちに秀吉が和平工作を行い、その後の飛躍も考えると政治的には秀吉が勝利した合戦と言えます。ですが、合戦そのものでは家康公が羽柴軍に勝利したのをご存知ですか?「小牧・長久手の戦い」は合戦の期間が長引いた上に、交戦地点も複数あって複雑なのですが、まずは「長久手の戦い」が行われた「長久手古戦場跡」をご紹介します。
家康公ゆかりの地:関東編

須賀神社・小山評定之碑(栃木県小山市)|徳川家康公による小山評定が行われた場所

慶長5年9月15日(1600年10月21日)、美濃国不破郡関ヶ原(現在の岐阜県不破郡関ケ原町)にて、徳川家康公率いる東軍と石田三成ら西軍が「関ヶ原の戦い」を行いました。「関ヶ原の戦い」の約3ヶ月前、慶長5年7月25日(1600年9月3日)下野国しもつけのくに小山おやまに布陣していた家康公は、豊臣軍の諸将を集めて軍議を開きます。この「小山評定おやまひょうじょう」により結束した東軍は、反転して西へ向かい進軍していきます。今回は「小山評定」が行われた場所である須賀神社をご紹介いたします。
家康公ゆかりの地:関東編

小山評定跡碑(栃木県小山市)|徳川家康公が「関ヶ原の戦い」前に開いた伝説の軍議とは?

小山評定跡碑は、栃木県小山市中央町1丁目1-1にある記念碑で、同地は「小山評定」が行われた地です。日本史上最大の野戦合戦「関ヶ原の戦い」の直前に、上杉討伐軍(会津討伐軍)を反徳川勢力討伐軍に転換させた「小山評定」が行われました。まさに、関ヶ原の戦い開戦前の見所の1つがここで行われたのだと思うと、感慨深いものがあります。
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