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徳川恒孝

徳川家康公ってどんな人?

東照宮御遺訓は後世の創作だった!?|本当の徳川家康公御遺言とは?

今日、徳川家康公の御遺言として伝わるものに『東照宮御遺訓』があります。これは「人の一生は重荷を負て遠き道を行くがごとし。急ぐべからず……」という出だしで有名ですね。ですが、実は後世の創作だとする説があるのをご存知ですか?今回は『東照宮御遺訓』と「家康公が遺した本当の御遺言」について、まとめました。「日光東照宮や久能山東照宮、他には上野東照宮などでも境内に掲示されている『東照宮御遺訓』が偽物の訳ないだろう」とお思いの方も、ぜひ最後までご覧になってみてください。
家康公ゆかりの地:岡崎編

徳川家康公騎馬武者像(愛知県岡崎市)|珍しい騎馬武者姿の家康公銅像

徳川家康公騎馬武者像は、家康公が松平姓から徳川姓に改姓した25歳当時の姿を模した銅像です。日本最大級の騎馬像であり、家康公の銅像としてはおそらく唯一の騎馬武者姿の銅像です。令和元年11月2日に完成したため、現在最も新しい家康公の銅像ではないでしょうか。
家康公ゆかりの地:浜松編

三方ヶ原古戦場(静岡県浜松市)|徳川家康公の生涯唯一の惨敗「三方ヶ原の戦い」

三方ヶ原古戦場は、若き日の徳川家康公が軍神・武田信玄に真正面から野戦合戦を仕掛け、生涯唯一の惨敗を喫した「三方ヶ原の戦い」が行われた古戦場跡です。元亀3年(1572)12月22日、家康公の居城・浜松城の北に広がる三方ヶ原台地にて、徳川・武田両軍が激突しました。この敗北が、後の家康公を作り上げていく大きなターニングポイントとなりました。
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