徳川家康公騎馬武者像は、家康公が松平姓から徳川姓に改姓した25歳当時の姿を模した銅像です。
日本最大級の騎馬像であり、家康公の銅像としてはおそらく唯一の騎馬武者姿の銅像です。
令和元年11月2日に完成したため、現在最も新しい家康公の銅像ではないでしょうか。
名鉄名古屋本線「東岡崎駅」南口直結のペテストリアンデッキにありますので、岡崎城見物の際はぜひ見物してみてください。
徳川家康公騎馬武者像が出来るまで
家康公の銅像としては珍しい騎馬武者姿の家康公像ができるまでには、デザイン検討会議での決定項目と、コンクールの入賞作品を元に、神戸峰男氏が立体像化しました。
1 デザイン
徳川家康公像の制作者である神戸峰男氏に、第2回徳川家康公像デザイン検討会議において決定した事項を伝え、デザインコンクールの入賞作品を見ていただき、実物の1/10サイズの立体像を制作いただきました。
そのデザインは、第3回徳川家康公像デザイン検討会議において承認され、公益財団法人德川記念財団に監修いただきました。徳川家康公像デザイン検討会議による提言
- 騎馬像であること
- 若々しさが感じられる像であること
- これからの時代を築いていく意気込みを感じられるもの
- 馬は静かに歩いていること
- 等身大以上のものであること
- 銅像であること
また、銅像の台座には以下の主意書があります。
徳川家康公
1542-16161560年桶狭間の敗戦により岡崎への帰還を果たした松平元康が松平家康を経て徳川家康と改姓した25歳当時の若き日の家康公のモニュメントです。
ピンチをチャンスに転換し、天下統一と平和な世の中を作り上げた郷土の英雄の姿から「困難に立ち向かい、人生を切り開いてゆく」三河武士の精神を子供たちに学んで欲しいという願いを込めています。彫刻像の制作は日本芸術院会員の神戸峰男氏に、台座の揮毫は徳川宗家第十八代当主 徳川恒孝氏に依頼いたしました。
像の建立にあたっては、多くの個人及び団体・法人の方々からの寄付金や募金が充てられています。
令和元年十一月吉日岡崎市長
内田康宏引用元:徳川家康公騎馬武者像台座看板『徳川家康公』
また、家康公像のあるペテストリアンデッキには、家康公の旗印「厭離穢土欣求浄土」について説明する案内看板もあります。
この説明文は数ある「厭離穢土欣求浄土」を説明する文章の中でも、特に名文だと思います。
厭離穢土欣求浄土
「厭離穢土欣求浄土」とは、煩悩に穢れたこの世を厭い離れ、極楽浄土を欣んで心から願い求めることです。平安中期の高僧源信(恵心僧都)が著した「往生要集」の中の言葉です。
永禄3年(1560)、松平元康(のちの徳川家康)が桶狭間の戦いで今川義元討死の後、菩提寺である大樹寺へと逃げ隠れ、前途を悲観し先祖の墓前で自害を試みましたが、その際に13代住職の登誉上人が「厭離穢土欣求浄土」と説き、切腹を思いとどまらせたと言われています。
家康公は以後戦国の世を穢土とし、平和な世を浄土として「厭離穢土欣求浄土」を旗印に幾多の艱難辛苦を乗り越え戦国時代を平定、世界的にも類をみない265年もの長きにわたる天下泰平の世の礎を築きました。
家康公像は、徳川家康と改姓した25歳当時の姿です。顔の表情は京都知恩院や豊田市隣松寺にある木像を、鎧兜は山形県鶴岡市の酒井家に保管されているものを参考に制作されました。引用元:徳川家康公騎馬武者像案内看板『厭離穢土欣求浄土』
ちなみに、家康公は「厭離穢土欣求浄土」と書かれた旗印と、金扇の馬印を使用していました。
金扇の馬印といえば、先日行われたNHK大河ドラマ『どうする家康』記者会見でも、会場のセットに金扇の馬印を模した飾りがありましたね。
先ほど会見終了しました! 会見会場のセットは、漆喰の壁に、実際に家康が使ったと伝わる久能山東照宮所蔵の金扇を大胆にあしらった特注品。また活躍してしてくれる日が来るかも……?#どうする家康 pic.twitter.com/nVaZb35lIL
— 2023年 大河ドラマ「どうする家康」 (@nhk_ieyasu) November 29, 2021
(下の写真は、静岡県静岡市「駿府城公園」内で撮影)
家康公の旗印は、大樹寺での一件以降「厭離穢土欣求浄土」と大きく書かれた旗を使用していますので、大河ドラマ等の合戦シーンでも一目で分かります。
家康公が厭離穢土欣求浄土の旗印に込めた想いとは?
「桶狭間の戦い」敗戦で切腹しようとした家康公が「厭離穢土欣求浄土」を決意した場所
近日公開予定
徳川家康公騎馬武者像
徳川家康公騎馬武者像に向かうには、名鉄名古屋本線「東岡崎駅」で下車して南口から出ます。
名鉄名古屋本線「東岡崎駅」南口から直通の連絡通路を進みます。
連絡通路には、家康公像を盛り上げるための垂れ幕があります。
私が訪れた時は「家康公、見参。」でしたが、最近ではNHK大河ドラマ『どうする家康』放送決定を受けて、同作を意識した垂れ幕に変更されたようです。
皆さんぜひ現地で確認してみてください。
連絡通路は緩く左へカーブしていますが、比較的すぐに家康公の銅像が見えてきます。
弓矢を手にした凛々しい家康公のお姿が……
さっそく、近くで見てみましょう。
徳川家康公騎馬武者像:概観
こちらが、東岡崎駅前にある徳川家康公騎馬武者像です。
高い台座の上に銅像があるため、一層大きな存在感を放っています。
台座の背面には、家康公が旗印に掲げていた「厭離穢土欣求浄土」の文字が刻まれています。
この角度から見ると、まるで家康公が隣のビルを見つめているかのような感じになってしまいますね(笑)
台座の「厭離穢土欣求浄土」の文字は、徳川宗家第18代当主・徳川恒孝氏が記した文字です。
「三方ヶ原の戦い」古戦場の記念碑も徳川宗家第18代当主・徳川恒孝氏が書きました
それでは、いよいよ銅像本体を見てみましょう。
徳川家康公騎馬武者像:銅像部分
これは、各地の家康公像と比べても全く負けず劣らず素晴らしい銅像です。
銅像のほぼ正面から。
側面から。
背面から見ると、家康公が背負う矢筒にも矢が入っていることが分かります。
この家康公像は家康公だけでなく、騎乗している馬の造形も素晴らしいと思います。
この力強い臀部が、どっしりとした安定感を醸し出しています。
こちらが、徳川家康公騎馬武者像のご尊顔です。
まさに、若々しさと静かな力強さが感じられるお顔立ちですね。
25歳の家康公といえば、永禄9年(1566年)5月に三河国から今川勢を排除して、三河国の平定を完了しました。
同年12月には松平姓から徳川姓に改姓、併せて朝廷から従五位下・三河守に任ぜられました。
まさに、岡崎を中心とした徳川家の土台を完成させた1年だったと言えます。
また、先の検討会議にて挙げられた、
- 騎馬像であること
- 若々しさが感じられる像であること
- これからの時代を築いていく意気込みを感じられるもの
- 馬は静かに歩いていること
- 等身大以上のものであること
- 銅像であること
これら全ての要件をしっかりと満たしつつ、素晴らしい銅像に仕上がっています。
家康公ご本人よりもカッコいいきっと家康公ご本人もこれくらいカッコよかったに違いありません。
おまけ
東岡崎駅前の「徳川家康公騎馬武者像」付近には、おまけに立ち寄りたいちょっとしたスポットがあります。
「徳川デザイン!」自販機
コカコーラ社の「徳川デザイン!」自販機です。
この「徳川デザイン!」自販機は、ぺテストリアンデッキ直結の複合施設「OTO RIVERSIDE TERRACE」内にありました。
徳川家の象徴たる「葵の御紋」が輝く、特別なコカコーラです。
ちなみに、この「徳川デザイン!」コカコーラは、静岡県静岡市にある久能山東照宮でも発見しましたので、そちらと併せてチェックしてみてください。
乙川・みかちゃんのえさ
東岡崎駅前の「徳川家康公騎馬武者像」のすぐ隣には、乙川が流れています。
そのためか、複合施設「OTO RIVERSIDE TERRACE」には「みかちゃんのえさ」なる物を販売している自販機があります。
私は買わなかったので中身を知りませんが、気になる方はぜひ買ってみてください。
きっと、乙川を泳ぐ「みかちゃん」も喜ぶはずです。
各地にある徳川家康公の銅像はこちら
アクセス・案内情報
- 名称:徳川家康公騎馬武者像
- 住所:愛知県岡崎市明大寺町上郷中18
- 電話:0564-23-6920(岡崎市観光推進課家康公係)
- 交通:名鉄名古屋本線「東岡崎駅」東改札から徒歩約1分
- 参考:徳川家康公像完成 | 岡崎市ホームページ