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明治憲法起草地記念碑|伊藤博文らが起草した大日本帝国憲法発祥地

明治憲法起草地記念碑(明治憲法発祥の地) その他の史跡・ゆかりの地

明治憲法起草地記念碑とは、明治憲法の草案が完成した地に建立された記念碑です。伊藤博文らが明治憲法を起草した夏島の別荘跡地に、草案に加わった伊東巳代治、金子堅太郎らが発起人となり、大正15年(1926)11月に建立されました。昭和50年(1975)4月、別荘跡地から200m離れた現在地に移転されました。横須賀市指定市民文化資産、横須賀風物百選。

当初は「東屋旅館」に集まり明治憲法の骨格が練られていました。しかし盗賊が入り、機密書類の入っていた行李が盗まれため、夏島の伊藤の別荘に移り、草案が完成されました。

※「東屋旅館」の跡地にある記念碑についてはこちらの記事をどうぞ。

明治憲法起草の碑|伊藤博文らが起草した大日本帝国憲法発祥地の史跡
明治憲法起草の碑とは、明治憲法の草案づくりが行われた地として、神奈川県横浜市金沢区洲崎町7-4に設置された記念碑の事です。明治20年(1887年)より、初代内閣総理大臣の伊藤博文を中心に、井上毅、伊東巳代治、金子堅太郎の4名が、当時この地にあった「東屋旅館」に集まり明治憲法の骨格が練られました。

順路

京急本線「追浜駅」下車、徒歩約40分程度で着きます。
※バスを利用すれば約20分程度で着きます。

ホームに設置された駅名看板には、横浜DeNAベイスターズ不動の4番・筒香嘉智選手の姿がプリントされています。

他にも、上下線のホームにそれぞれラミレス監督らの姿がプリントされております。

なお、駅名の追浜は「おいはま」ではなく「おっぱま」と読みます。

 

駅前に交差点がありますので、直進して夏島貝塚通りを進みます。

商店街のアーケードをひたすら直進します。

アーケードを越えると歩道橋があるので、夏島貝塚通りをひたすら直進します。

夏島貝塚通り沿いに菜の花が植えられており、目を引きます。

ひたすら直進すると、丁字路がありますので、左折して夏島貝塚通りを進み続けます。

日産自動車の看板が見えたら記念碑はもうすぐです。

カーブを曲がって少し進んだところに、記念碑があります。

明治憲法起草地記念碑

『明治憲法起草地記念碑』は工業地帯の一角に、静かに佇んでいます。

明治憲法起草地記念碑(明治憲法発祥の地)概観

明治憲法起草地記念碑(明治憲法発祥の地)接近

明治憲法起草地記念碑(明治憲法発祥の地)案内看板

『明治憲法起草遺跡記念碑』には、以下の通り記されています。

『明治憲法起草遺跡記念碑』

この記念碑は、現在地から南方二百メートルの場所に、大正十五年十一月に建立されたものである。
当時、明治憲法草案起草の関係者であり記念碑の建立発起人の一人であった金子堅太郎の言によれば、その場所は、伊藤博文の別荘の草案起草の室にあてられた十二畳半の部屋であったという。
記念碑は、太平洋戦争後荒廃していたが、当時この地で操業していた富士自動車株式会社の手によって、一部原形を変えて改修され昭和二十六年二月再度除幕された。
このたび、元の位置を含む一帯が、日産自動車株式会社に帰属することになったので同社と協議のうえ現在地に移設させ、明治憲法草案起草の遺跡を示す唯一の記念碑として永く後世に伝えようとするものである。

ちなみに、この碑の外面は、七十六個の石からなるが、これは明治憲法の七十六箇条を意味し、基石の縦横各二十二尺二寸一分一厘の長さは、憲法発布の明治二十二年二月十一日を示したものである。

昭和五十年四月二十六日
横須賀市

記念碑下部に埋め込まれた碑文です。

明治憲法起草地記念碑(明治憲法発祥の地)碑文

この碑文は、大正15年10月の建立当時からあったと思われます。

明治憲法起草地記念碑(明治憲法発祥の地)背面

『明治憲法草案起草の跡』正面には以下の通り記されております。

『明治憲法草案起草の跡』正面

SITE OF ORIGINAL DRAFTING OF THE MEIJI CONSTITUTION IN THE YEAR MEIJI 20 - A.D.1887

記念碑裏面にも記載があります。

『明治憲法起草地記念碑』を施工したのは、日産自動車株式会社と株式会社大林組との事。

以上、『明治憲法起草地記念碑』でした。

とても残念だった事

今回、このようにして『明治憲法起草地記念碑』を訪れましたが、唯一にして極めて残念だった事が1つだけありました。

このように貴重な史跡を、我が国が近代国家として憲法を制定するに至る歴史に所縁ある記念碑を、なぜこのようなゴミで汚す事が出来るのだろうか。

記念碑の設置された場所は、周囲を囲む木々が春風に揺れて、囁かな葉音がするだけの静寂な場所でした。

このゴミが捨てられているのは、先述の通り「七十六個の石からなるが、これは明治憲法の七十六箇条を意味し、基石の縦横各二十二尺二寸一分一厘の長さは、憲法発布の明治二十二年二月十一日を示したもの」である基石です。

その石の上に、このようなゴミを捨てるという事は、我が国の先達方が必死に築き上げてきた近代国家としての歩みに唾を吐くような行為であり、遺憾に思います。

おまけ1:烏帽子巌之跡碑

夏島貝塚通りが左折になっている丁字路からしばらく進むと、右手側の道端に設置されております。

烏帽子巌之跡碑

『烏帽子巌之跡碑』案内板には以下の通り記されております。

烏帽子巌之跡碑案内看板

『烏帽子巌之跡碑』

烏帽子岩は烏帽子島ともいわれ、追浜の砂浜が東につきる突端に存在していた。大正七年に海軍航空隊の建設に伴う飛行場造成のため切崩され、消滅した。本碑はこれを記念して、昭和二年に建立されたものである。
当時の形状は名の如く烏帽子の形をしたもので、標高約十五メートル、周囲約二百メートルで、海を隔てて夏島と対していた。江戸時代には旅人や近傍の人たちは、この岩と夏島との間を海路往来していたもので、その風光明媚な自然景観は一幅の絵を見るようであったという。
このたび、旧飛行場地先を、さらに日産自動車株式会社により埋立てられたため、記念碑を本位置に移設して、その保存を図ったものである。
なお、烏帽子岩が存在していた位置は、本碑より北北東百五十メートルの処である。

昭和五十七年六月
横須賀市
日産自動車株式会社

おまけ2:夏島貝塚

『明治憲法起草地記念碑』の左隣には、国指定史跡『夏島貝塚』があります。

しかし、どうやらフェンスで囲まれていて入る事は出来ないようです。

夏島貝塚

フェンスの外に、案内板が設置されております。

他の明治憲法発祥関連史跡

前回の「東屋旅館」跡に設置された『明治憲法起草の地』と共に、これで明治憲法起草にまつわる史跡を訪れました。

明治憲法起草の碑|伊藤博文らが起草した大日本帝国憲法発祥地の史跡
明治憲法起草の碑とは、明治憲法の草案づくりが行われた地として、神奈川県横浜市金沢区洲崎町7-4に設置された記念碑の事です。明治20年(1887年)より、初代内閣総理大臣の伊藤博文を中心に、井上毅、伊東巳代治、金子堅太郎の4名が、当時この地にあった「東屋旅館」に集まり明治憲法の骨格が練られました。

また後日、日本国憲法(昭和憲法・現行憲法)に関連して設置された『日本国憲法草案審議の地』を訪れたいと思います。

『日本国憲法草案審議の地』を訪れましたので、こちらも併せてご覧ください(追記:平成31年3月17日)。

日本国憲法草案審議の地|吉田茂らが審議した日本国憲法発祥地の史跡
日本国憲法草案審議の地とは、日本国政府と連合国軍総司令部の間で日本国憲法の草案審議が行われた史跡の事です。東京都港区六本木1丁目8-4に記念碑が設置されています。昭和21年(1946年)2月、日本側は外務大臣吉田茂と法務大臣松本烝治が、総司令部側代表は民生局長ホイットニー准将と民生局次長ケーティス大佐が、同地にて日本国憲法の草案を審議しました。
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