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日本史|史跡巡り

徳川家ゆかりの地

五社神社・諏訪神社(静岡県浜松市)|二代将軍・徳川秀忠の産土神

五社神社・諏訪神社は、静岡県浜松市にある神社です。五社神社は、戦国時代初期の曳馬城主・久野越中守が城内に創建したのに始まり、後に徳川家康公が三男・徳川秀忠の産土神としました。諏訪神社は、奈良時代の征夷大将軍・坂上田村麻呂が東征の折に奉斎したのに始まり、こちらも後に家康公が秀忠の産土神としました。
その他の史跡・ゆかりの地

橘樹郡家跡第32次調査現地見学会に行ってみた感想(川崎市)

昨日、川崎市教育委員会が行った『橘樹郡家跡第32次調査現地見学会』に参加してみました。今回は、その概要と感想をまとめたいと思います。橘樹郡家(たちばなぐうけ)とは、かつて武蔵国橘樹郡にあった郡家の事です。郡家は、飛鳥時代以降の律令制度において、郡の官人(郡司)が政務を執った役所でした。田租や正税出挙稲を保管する正倉や、宿泊所などから構成されていました。
家康公ゆかりの地:関東編

宗仲寺(神奈川県座間市)|家康公お手植えの銀杏が残る家康公ゆかりの寺

浄土宗来迎山峰月院宗仲寺は、徳川家康公ゆかりの寺であり、家康公がお手植えされた銀杏の木が現存しています。家康公が、鷹狩りの際に立ち寄ったとの言い伝えが残されています。また、元和3年(1617)家康公のご棺を駿府の久能山東照宮から日光東照宮に移動する際は、この宗仲寺で休憩しました。
徳川家ゆかりの地

昌平坂学問所跡|『新編武蔵風土記稿』を編纂した徳川幕府の学問所

昌平坂学問所(しょうへいざかがくもんじょ)は、地誌『新編武蔵風土記稿』や『新編相模国風土記稿』を編纂した、徳川幕府直轄の学問所です。寛政2年(1790年)、神田湯島に設立されました。正式名称は「学問所」であり「昌平黌(しょうへいこう)」とも称されました。
その他の史跡・ゆかりの地

多摩川浅間神社|源頼朝の妻「尼将軍」北条政子ゆかりの地

多摩川浅間神社は、東京都大田区にある神社です。多摩川浅間神社の創建は、鎌倉幕府を開いた源頼朝公の妻・北条政子が頼朝出陣の後を追って同地を訪れた際の出来事に由来しています。文治年間(1185年〜1190年)に創建されました。また、近年では映画『シン・ゴジラ』のロケ地としても有名です。
その他の史跡・ゆかりの地

源頼朝公落馬地|源頼朝公の死因は? なぜ死んだ? 怨霊説!?

今回は神奈川県平塚市にある史跡『源頼朝公落馬地』を訪れました。2022年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』は鎌倉幕府執権・北条義時が主人公ですが、その物語は源頼朝公亡き後の鎌倉幕府における「御家人13人による合議制」が舞台です。では、その鎌倉幕府を開いた源頼朝公は、なぜ亡くなったのでしょうか?その死因は何だったのでしょうか?
徳川家ゆかりの地

雲光院(東京都江東区)|徳川家康公側室の才女・阿茶局の菩提寺

今回は東京都江東区にある、浄土宗龍徳山雲光院を訪れました。雲光院は徳川家康公の側室・阿茶局の発願により、慶長16年(1611年)に増上寺の高僧であった潮呑上人を開山上人として開創されました。阿茶局の法号である「雲光院」の名が、そのまま寺の名称となっています。
徳川家ゆかりの地

白幡八幡大神|徳川秀忠が関ヶ原の戦いや大坂の陣で戦勝祈願した禰宜舞(ねぎまい)

江戸時代の地誌『新編武蔵風土記稿』によると、二代将軍・徳川秀忠が「関ヶ原の戦い」や「大坂の陣」の折に戦勝祈願のために「禰宜舞(ねぎまい)」を舞わせた神社との事です。この「禰宜舞」は一子相伝にて代々受け継がれ、今日でも毎年7月と9月に披露されています。今日を生きる私たちが、400年前に家康公や秀忠が祈願した舞を観ることができる――歴史ロマンあふれる魅力を感じます。
家康公ゆかりの地:関東編

中原御殿跡(神奈川県平塚市)|裏門が現存する徳川家康公の御殿跡

今回は徳川家康公が江戸と京都を往来する際に宿泊した、中原御殿の跡地を訪れました。中原御殿は、平塚から江戸城虎ノ門を繋ぐ中原街道筋に建てられた御殿です。現在、中原御殿の跡地には石碑『相州中原御殿之碑』が建立されているのみですが、中原御殿の裏門が近隣にある善徳寺の三門として移築されて現存しています。
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