徳川家康公の像は各地にありますが、本銅像は都内唯一の家康像です。
JR総武線または都営大江戸線の両国駅より徒歩数分ですから、非常に手軽に行く事が出来ます。
はじめに
江戸の地を始めとした現在の東京一帯は、かつて湿地帯で農業にも適さない土地でした。
京の都からも遠く、家康公ご入府を迎える戦国時代末期まで、まさに一帯が「未開のド田舎」という有様でした。
家康公のご入府以降、江戸を中心にどのような都市開発が行われていったのかは、門井慶喜[2016]『家康、江戸を建てる』(祥伝社)など歴史小説の題材にもされており、大変面白く(個人的には同作で利根川を曲げる話などは感動すら覚えました)ご一読をおすすめいたします。
【関連記事】利根川東遷事業を学ぶなら
『家康、江戸を建てる』門井慶喜先生もオススメの博物館
また、江戸の都市開発につきましては様々な文官型家臣が活躍をしておりますが、中でも本田佐渡守正信に焦点を当てた童門冬二[2016]『家康と正信 戦国最強の主君と補佐役』(PHP研究所)などは、家康・正信主従がなぜ秀吉の関東改易を受け入れ、江戸に本拠地を構える事にしたのかなど面白い事が書かれております。
さて、このように未開の地であった江戸を巨大都市にまで開発・発展させ、今日の日本国・東京の礎を築き上げられた家康公ですが、今日、その都内には何と家康公の像が1体しか存在していないそうです。
質問
徳川家康の銅像は都内に何体あるか。回答
都内にある歴史上の人物の銅像については【資料1】『東京江戸案内 巻の4 相撲と銅像編』で調べることができますが、これには家康の銅像が載っていません。この本が書かれた時には都内に家康の銅像は無かったと思われます。社団法人江戸消防記念会(備考※1)から当館に徳川家康像(備考※2)が寄贈されたのは1994年4月25日。現在(2014年10月)都内にあるのはこの一体だけと言うことになります。製作者は山下恒雄氏、像の高さは3.7メートル(台座からの高さ7.76メートル)、重量30トン。
(中略)
話を過去の家康像に戻すと、過去に家康像が全くなかった訳ではなく、【資料3】『都史紀要39 レファレンスの杜』によると、かつて東京市役所正面玄関前に渡辺長男作の徳川家康像(大正9年7月建設)がありましたが、昭和18年3月に太平洋戦争のために供出され、戻ることはありませんでした。この像の写真は【資料4】『帝国銅像鑑 上巻』に見ることができます
なお、都内以外では愛知県と静岡県(備考※3~5)にも家康像があります。引用元:レファレンス協同データベース
(提供館:東京都江戸東京博物館 図書室)
従って、かつて存在した家康像は戦争で供出されて(金属の材料として軍に差し出して、兵器の材料として使用される事)喪われてしまい、平成時代に有志の方々が中心となって建立されたのが今回訪れた家康像だそうです。
(貴重な史跡が「複製版」である事は良くある話ですが、そのオリジナルの喪失された理由が「戦争」というのも良く見かけます。個人的に、非常に残念でなりません)
徳川家康像
こちらが、東京都内に現在唯一ある徳川家康公の銅像です。
家康公が趣味としていた鷹狩りの服装で、台座は贔屓という神獣の上に乗っています。
像の前方に設置された案内には、像の建立由来について以下の通り書き記されております。
徳川家康公銅像建立由来
鷹狩りの勇姿で江戸城を望んでいる徳川家康公が始めて、草深い江戸の地に天正十八年(1590年)に、豊臣秀吉の命により国替えとなった。
そして、関ヶ原の戦い後慶長八年(1603年)征夷大将軍となり江戸に幕府を開き天下普請を大名に命じ、本格的な都市づくりの大事業を行い、政治の中心地として明治に至るまで永き亘って現在の東京の基礎となったことは周知の事実である。
社団法人 江戸消防記念会では、このような、江戸開府の大事業を成し遂げた徳川家康公の偉業を称え、顕彰すべく銅像建立の計画を練っていたところ、平成五年三月、江戸東京博物館が両国の地に落成の運びとなるや、徳川家康公銅像建立気運が一気に盛り上がり記念会創立以来の名誉ある事業であることから、これを積極的に推進し、東京都をはじめ関係諸機関に格別のご協力をいただきまして、江戸消防記念会が主体となって平成六年四月銅像を建立、東京都に寄贈したものである。引用元:徳川家康像
※建立された一般社団法人 江戸消防記念会のWebページはこちら(外部サイト)。
なお、家康公が乗っている亀のような動物ですが、これは贔屓という神獣です。
贔屓は元々、中国の伝説によると龍が生んだ9頭の神獣・竜生九子の一つで、川の神で亀の形をとってこの世に現れる神獣です。
台座の亀について正式な説明書きはありませんが、水の都としての江戸を表現しているとも言われています。もっとも、昔から亀を土台にする像は多く見られます。【資料2】『世界大博物図鑑 第3巻 両生・爬虫類』によると、この亀の形をした動物を贔屓(ひいき)と言い、元々川の神の名であって、亀の形をとってこの世に現れると言われています。この幻獣は石碑にかたどられ、「不動」の象徴とされているのです。
引用元:レファレンス協同データベース
(提供館:東京都江戸東京博物館 図書室)
製作者は山下恒雄氏であり、像の前面にその名が示されています。
徳川家康像の側面です。
徳川家康像の背面です。
像の背中には、徳川家の家紋・三つ葉葵(葵の御紋)が描かれています。
さいごに
家康公ファンとしては、三河、駿府、日光などよりも近くて手軽に行けるスポットとして、都内に家康公の像が建立されているというのはありがたいです。
ただ、そもそも今日の東京がこのような超巨大都市として我が国の中心を担っている、その礎を築かれた家康公の像が都内に1体しかないというのは、とても寂しく思います。
三河、駿府、日光に負けじと、東京(江戸)でも家康公への注目が高まればと願うばかりです。
案内情報
名称:徳川家康像
住所:東京都墨田区横網1丁目5−5
交通:JR総武線、都営大江戸線「両国駅」徒歩数分
【関連記事】
各地にある徳川家康公の銅像はこちら
利根川東遷事業を学ぶなら
『家康、江戸を建てる』門井慶喜先生もオススメの博物館
【関連記事】
家康公ゆかりの地めぐり