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戦国時代

家康公ゆかりの地:浜松編

遠江分器稲荷神社(静岡県浜松市)|坂上田村麻呂・源頼朝・徳川家康公ゆかりの神社

遠江分器稲荷神社は静岡県浜松市にある神社です。古くは征夷大将軍の坂上田村麻呂が東夷征伐の折に神馬を奉納し、源頼朝公が神馬と幣帛を奉納し、徳川家康公が松平忠頼に命じて修造したという由緒があります。また、家康公を支えた徳川四天王の一人・本多忠勝の屋敷跡が隣にありました。
徳川家臣団ゆかりの地

本多忠勝屋敷推定地(静岡県浜松市)|徳川家康公を支えた徳川四天王最強の武将

本多忠勝屋敷推定地は、徳川家康公が岡崎城から浜松城に本拠地を移して以降、その家臣・本多忠勝の屋敷があったと思われる場所です。現在の静岡県浜松市にあります。忠勝はその生涯において、合戦では無傷だったと伝えられています。
徳川家ゆかりの地

五社神社・諏訪神社(静岡県浜松市)|二代将軍・徳川秀忠の産土神

五社神社・諏訪神社は、静岡県浜松市にある神社です。五社神社は、戦国時代初期の曳馬城主・久野越中守が城内に創建したのに始まり、後に徳川家康公が三男・徳川秀忠の産土神としました。諏訪神社は、奈良時代の征夷大将軍・坂上田村麻呂が東征の折に奉斎したのに始まり、こちらも後に家康公が秀忠の産土神としました。
麒麟がくる

『麒麟がくる』室町幕府「最後の将軍」第15代将軍・足利義昭のプロフィール

絶賛放送中の大河ドラマ『麒麟がくる』が各所で話題ですが、いよいよ後の第15代将軍となる足利義昭が登場しました。今まで出家して覚慶と名乗っていましたが、第25話「羽運ぶ蟻」にてついに還俗して、足利義昭と名乗り始めます。日本史の授業では散々な評価の将軍として説明を受けた記憶がありますが、この『麒麟がくる』ではどういう将軍として描かれるのでしょうか?
麒麟がくる

『麒麟がくる』足利義輝討死シーンの掛け軸「八幡大菩薩」とは?

大人気放送中の大河ドラマ『麒麟がくる』2020年9月20日放送の第24回「将軍の器」冒頭にて、室町幕府第13代将軍・足利義輝(演:向井理さん)が襲撃を受け、壮絶な討ち死にするシーンが放送されました。この義輝の討死シーンで、甲冑の後ろにかけられていた掛軸には「八幡大菩薩」と書かれていました。「八幡大菩薩」とは、一体何でしょうか?今回は、この「八幡大菩薩」という言葉の意味について、まとめてみました。
徳川家ゆかりの地

雲光院(東京都江東区)|徳川家康公側室の才女・阿茶局の菩提寺

今回は東京都江東区にある、浄土宗龍徳山雲光院を訪れました。雲光院は徳川家康公の側室・阿茶局の発願により、慶長16年(1611年)に増上寺の高僧であった潮呑上人を開山上人として開創されました。阿茶局の法号である「雲光院」の名が、そのまま寺の名称となっています。
徳川家ゆかりの地

白幡八幡大神|徳川秀忠が関ヶ原の戦いや大坂の陣で戦勝祈願した禰宜舞(ねぎまい)

江戸時代の地誌『新編武蔵風土記稿』によると、二代将軍・徳川秀忠が「関ヶ原の戦い」や「大坂の陣」の折に戦勝祈願のために「禰宜舞(ねぎまい)」を舞わせた神社との事です。この「禰宜舞」は一子相伝にて代々受け継がれ、今日でも毎年7月と9月に披露されています。今日を生きる私たちが、400年前に家康公や秀忠が祈願した舞を観ることができる――歴史ロマンあふれる魅力を感じます。
家康公ゆかりの地:関東編

中原御殿跡(神奈川県平塚市)|裏門が現存する徳川家康公の御殿跡

今回は徳川家康公が江戸と京都を往来する際に宿泊した、中原御殿の跡地を訪れました。中原御殿は、平塚から江戸城虎ノ門を繋ぐ中原街道筋に建てられた御殿です。現在、中原御殿の跡地には石碑『相州中原御殿之碑』が建立されているのみですが、中原御殿の裏門が近隣にある善徳寺の三門として移築されて現存しています。
日本史|雑記

「守護・地頭」「守護大名・守護代」「戦国大名」「譜代大名・外様大名」の違いとは?

現在大人気放送中の大河ドラマ『麒麟がくる』でも、ドラマ内で「守護大名」や「守護代」という言葉がたびたび登場しています。また、似たような言葉で「守護(守護・地頭)」や「大名」、あるいは「戦国大名」や「譜代大名」「外様大名」という言葉が有名かと思います。今回は、それぞれの言葉の意味や特徴、それぞれの違いについてまとめてみました。
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