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徳川家康

徳川家臣団ゆかりの地

夏目次郎左衛門吉信の碑(静岡県浜松市)|「三方ヶ原の戦い」で家康公への恩を返して討死した忠臣

夏目次郎左衛門吉信の碑は、静岡県浜松市にある犀ヶ崖古戦場の向かいにある記念碑です。夏目吉信は徳川家康公の家臣でしたが、三河一向一揆の際には他の家臣らと共に離反して家康公に刃を向けました。しかし捕縛された際、家康公の寛大な処置により許されます。この時の恩義を忘れなかった吉信は、後年「三方ヶ原の戦い」において、家康公が武田信玄に敗れて浜松城へ逃げ帰る際に、家康公の身代わりとなって武田勢と戦い、犀ヶ崖の近くで討死を果たしました。
徳川家臣団ゆかりの地

本多肥後守忠真の碑(静岡県浜松市)|「三方ヶ原の戦い」で家康公を守るために討死した忠臣

本多肥後守忠真の碑は、静岡県浜松市にある犀ヶ崖古戦場の一角にある石碑です。本多忠真は徳川家康公の家臣で、あの本多忠勝の叔父です。忠真は「三方ヶ原の戦い」において、家康公が武田信玄に敗れて浜松城へ逃げ帰る際に、殿(しんがり)を務めてこの地で討死を果たしました。
家康公ゆかりの地:浜松編

犀ヶ崖古戦場(静岡県浜松市)|徳川家康公が武田信玄に一矢報いた合戦

犀ヶ崖古戦場は静岡県浜松市にある、古戦場です。徳川家康公が武田信玄に野戦を挑むも惨敗し、浜松城まで逃げ帰った「三方ヶ原の戦い」。その敗走の晩に、徳川勢が武田勢の夜営地を夜襲しました。今でも、その急峻な崖に古戦場としての趣を感じることができます。
家康公ゆかりの地:浜松編

浜松城(静岡県浜松市)|徳川家康公が17年間過ごした「出世城」

浜松城は静岡県浜松市にある城跡です。元亀元年(1570年)、徳川家康公は岡崎城から本拠地を移して以降、天正14年(1586年)に本拠地を駿府城に移すまでの17年間に渡り、この浜松城を本拠地としていました。今回は合計117枚に及ぶ写真を余すことなく掲載して、浜松城の魅力を大特集いたします。
家康公ゆかりの地:浜松編

元城町東照宮(静岡県浜松市)|徳川家康公と豊臣秀吉の銅像が並ぶ神社

元城町東照宮(もとしろちょうとうしょうぐう)は、静岡県浜松市にある神社です。戦国時代に引間城(曳馬城)があった地に、明治19年(1886年)に建立されました。かつて、浜松城を本拠地とした徳川家康公を祀っています。
家康公ゆかりの地:浜松編

椿姫観音(静岡県浜松市)|徳川家康公と一戦交えて討ち死にした女性

椿姫観音(つばきひめかんのん)は静岡県浜松市にある御堂です。引間城(後の浜松城)城主・飯尾連竜の死後、その妻・お田鶴の方は城を守るために徳川家康公と一戦交え、そして討ち死にしました。椿姫観音は、そのお田鶴の方を祀る御堂です。
家康公ゆかりの地:浜松編

浜松八幡宮(静岡県浜松市)|敗走した徳川家康公が逃げ隠れた雲立楠

浜松八幡宮は静岡県浜松市にある神社です。徳川家康公が「三方ヶ原の戦い」で武田信玄に惨敗し、敗走する際に逃げ隠れた雲立楠が現存しています。また、浜松城の鬼門を護る神社でもあります。
家康公ゆかりの地:浜松編

遠江分器稲荷神社(静岡県浜松市)|坂上田村麻呂・源頼朝・徳川家康公ゆかりの神社

遠江分器稲荷神社は静岡県浜松市にある神社です。古くは征夷大将軍の坂上田村麻呂が東夷征伐の折に神馬を奉納し、源頼朝公が神馬と幣帛を奉納し、徳川家康公が松平忠頼に命じて修造したという由緒があります。また、家康公を支えた徳川四天王の一人・本多忠勝の屋敷跡が隣にありました。
徳川家ゆかりの地

五社神社・諏訪神社(静岡県浜松市)|二代将軍・徳川秀忠の産土神

五社神社・諏訪神社は、静岡県浜松市にある神社です。五社神社は、戦国時代初期の曳馬城主・久野越中守が城内に創建したのに始まり、後に徳川家康公が三男・徳川秀忠の産土神としました。諏訪神社は、奈良時代の征夷大将軍・坂上田村麻呂が東征の折に奉斎したのに始まり、こちらも後に家康公が秀忠の産土神としました。
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